アーティスト/作曲家/プログラマーの松本昭彦さん
2020.08.04

アーティストであり技術開発者! 松本昭彦が語るテクノロジーと音楽(インタビュー前編)

東京藝術大学で現代音楽の作曲やプログラミングを修めた経歴を持ち、インスタレーションなどのメディアアート領域や研究開発なども手掛けているアーティスト/作曲家/プログラマーの松本昭彦さん。

最近ではテクノロジーとアートに関するワークショップ「RESONANCE」や音楽・音響プログラミングに関する学習エンタメAMCJ、モジュラーシンセのライブイベント「SOURCE CORD」を主催するほか、サンプルパックの開発・販売もインディペンデントに行い、海外のユーザーからも好評を博している。

そんな松本さんにインタビューさせていただいたのだが、松本さんならではの「音楽家ならではの創造性を仕事に変える」ことに関する大変触発的な内容となった。

音楽系クリエイターのみならず、「テクノロジーとどのように向き合いながらクリエイティビティを発揮していくか」という命題について関心のある、すべての人にとってヒントになる内容のはず。後日公開の後編と合わせて、ぜひご一読いただきたい。

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アーティストであり技術開発者

まず音楽の道に進まれたきっかけや、これまでのキャリアについてお聞かせください。

もともと父親がグラフィックデザイナーなのですが、オリンピックや証券会社のような堅いデザイン仕事以外にも、アンダーグラウンドでインディペンデントな世界にもコミットしている人で。パンク雑誌「DOLL MAGAZINE」の表紙デザインやThe Star ClubのCDジャケットデザインなども担当していたくらい、音楽業界とも深い関わりがあるデザイナーで、趣味でもバンドをやっていたので、家にエレキギターがあったんです。そのギターも「裸のラリーズ」に貸し出してフレットがすり減り切った状態で戻ってきたいわくつきのものです。

ちなみに父親がデザイン環境をコンピューターに移行した頃、日本で数少ないMacユーザーで、バージョン2くらいの頃のPhotoshopの使い方を教わっていたのが、The Star Clubのエンジニアを務めていた現エイベックスの岡田康弘さんなのですが、僕も全く知らずに岡田さんがいらっしゃるavexR studioをお借りして音楽制作のお仕事をしている中で、偶然過去に父親までお世話になっていることを知って運命に驚きました。(avexR studioについては以下の記事を参照)

ギターやコンピューターや音楽に囲まれて育っていたわけですね。

ギターは中学くらいからちょっとずつ我流で勉強し始めて、高校時代には普通にコピーバンドとかをやっていました。で、大学に入る段になって我流でロックギターだけやっても音楽の表現技術がいつか行き詰まる予感がしたので、「音楽を基礎から体系的に学ぼう」と思ってクラシックの作曲の勉強ができる総合大学の音楽学部があるところに入りました。

その後、学部3年生の時にコロンビア大学から高岡明という作曲・音楽理論家で、コンピューター音楽を専門領域にする先生が赴任してきて、専攻していた作曲の指導教員をその先生に変えたんです。作曲から楽曲分析までコンピューターを物凄く駆使するタイプの現代音楽の作曲家で、工学部でも授業を持っていたりする人で、プログラミング技術や作曲や音楽理論を師事しました。通常作曲の門下生個人レッスンって30分程度だと思うのですが、毎週2、3時間もみっちり教えていただいて、その短期集中で一気に勉強したことが今に繋がっていますね。

プログラミングと作曲をおひとりの先生に師事できるというのは凄い世界ですね。

学部を出てからは2、3年社会人として働いてから、東京藝大の先端芸術表現科の修士課程に入りました。院に入ってからはすでに外で色んな仕事を今とさほど変わらない感じで始めていました。大学時代にプログラミングを使って音の創作をする技術が身に着いていたので、修士の1年目ぐらいからは日本のアーティストの作品のプログラムの技術部分を担当して展示作品を作ったりしていました。

院の2年目の時には東大の「知の構造化センター」というところの特任研究員になって、そこでも池上高志さん(@alltbl)とアートプロジェクトを頻繁にやっていました。池上さんはバリバリの理系の研究者でありながらアーティスト、哲学者のようなマインドを持っていて、ものを作る人間として知性の面でも感性の面でも非常に刺激を受けました。

あと、プログラミングの技術を活用して、音楽やエンターテイメントとは全く違う業種で音の研究をしてるところって、例えば自動車メーカーさんだったり、建設会社さんだったり、大学だったり色々研究機関があるんですよ。最近はそういうところ株式会社アコースティックフィールド(公式サイト)の久保二朗さん(@acousticfield)と一緒に、ハードウェアとソフトウェア込みで特殊なシステムを作って納入する、といった仕事を年にいくつかやっています。

音楽家でかつ、こういった仕事をされているという人は珍しいのではないでしょうか。

あまり周りのケースと比較できたことがないので恐らくですけど、音楽家として一線の仕事をしながら技術開発の分野の仕事も並行する人はほぼゼロだと思います。

自分も技術系の企業との仕事に関してはアーティストとして呼ばれているという感じではないですね。あくまで技術を開発する人として扱われているので、アーティストとしての意見とか独創性が必要とされているという感じではないと思います。

それはそれで新鮮ですし、他の音楽家が絶対経験できないような現場の数がクリエイターとしての個性につながると思っているので、普通音楽家には来ないタイプの音の現場ほど自分にとっては重要で大切にしています。 

研究開発案件は5年かけて一つのプロジェクトが完成するようなこともざらにあるのですが、商業系の音楽仕事だと5年も引っ張るプロジェクトはまずありえないと思います。その辺りの継続性や持続可能な物づくりへの意識や技術は他では磨けませんが、大きなアートプロジェクトでは重要になってくると思います。

ちなみにプログラミングについてはどういった言語を勉強されていたんでしょうか?

CとかJavaもやりましたし、音楽専用のCMix、Csound、Pure Data、Chuck、Open Musicといった言語もひと通り勉強したんですけど、最終的にはMax/MSPに絞っていきました。

Max/MSPは電子音楽やメディアアートなど、コンピューターのプログラミングを使った表現の分野でデファクトスタンダードとして使われている言語で、ソフトウェアとしてもユーザーが多く安定しています。それを覚えておくだけでも電子音楽の世界以外の色んなクリエイターとコミュニケーションが取れて、他分野のクリエイターから学ぶことも多かったので、そのネットワークは今でも生きていると思いますね。もしMaxではないソフトを軸にしていたら、活動領域は今の10分の1以下だったかもしれません。

メディアアートの領域で活動されている方は周囲に多くいらっしゃいましたか?

10年前くらいは今よりもメディアアートという分野そのものが盛んだった気がするので、フリーのクリエイターは今より多くいたと思うんです。

最近は個人アーティストが台頭しなくなってきたというか……元々はアートとしてしか成立する場が作れない、仕事とか産業にすることが不可能な需要の外側にある独創的、個性的テクノロジーを突き詰めたい人たちがメディアアートをやっていたと思うんですけど、途中からライゾマティクスさんやチームラボさんといった個人とは違う組織が成熟してきて、「メディアアートの技術を使うと普通に仕事になるらしい」みたいな流れができてきた。

そこからは個人のアーティストに憧れて創作活動をする一匹狼よりも、企業がやっている大きなプロジェクトに憧れて、その一部になりアートよりも大きなエンタメ案件に関わりたいと思うクリエイターの卵が増えた印象があります。 

今日本でメディアアートというと商業プロジェクトと現代美術とに二極化が進んでいる印象があるのですが、10年前はもう少し違った独立したシーンが盛り上がっていたように思いますね。

AIが作曲家の仕事を奪うのか

アートとテクノロジーというトピックですと、最近は何と言ってもAIが注目を集めていると思います。松本さんのお考えを伺ってもよろしいでしょうか。

例えばAIが作ったものと人間が作っているものの識別が制作物からははっきりできないという技術レベルになったとして、受け手が「AIは人間より凄い」と思うかというと、自分はそうはならないと思うんです。本当に人間が生み出したアイデアなのかとか、人間が生み出した作品なのかといったストーリー性の部分は、受け手にとって大事な問題だと思うので。

昔の西洋音楽の作曲家、例えばストラヴィンスキーは、それまでになかった斬新なスタイルで「春の祭典」を生み出したがゆえに、初演で暴動が起きつつも、現代では多く演奏されるほど作品の価値を世の中に認めさせることができています。それはやはり作曲家の人間としての力が大きいと思うんです。

「人間が作曲した」って言われたら、最初は多少不快であっても、「大作曲家の判断のほうが正しい可能性は高いから、理解できるまで根気強く聴いてみよう」と何度も聴いてみたり、それを楽しめるようになるはずだと信じて理解しようとする。研究者も作品をじっくり研究しようというエネルギーが湧きますよね。でもそれを「AIが生成した」って言われると、「なんか変な曲だよね」と1回聴いて終わっちゃうことが多いだろうなと。

これまでに世の中になかった表現を打ち出せば、聴き手はどう聴けばいいのか最初はわからない状態に陥るものだと思うので、そこを打ち破り、違和感がありつつも何度も作品を聴いてもらう説得力をAIが持ちうるのかというのは、かなり難しい問題だと思っています。

そのAIを誰が開発したのか、開発者を表現者としてアーティスト並みに表に出せば、また社会の見方も違ってくるのではないかと思います。

では、「作曲家がAIに仕事を奪われる」といったことはないと思われますか。

危機感を持ってはいません。むしろ生身の作曲家と協業して小さな作業の一部を人工知能に置き換えたり、より自分の仕事にフォーカスするための合理化の手助けになるのではないかと思っています。

ただ、今の日本のポピュラーミュージック産業においては、作曲家の顔が見えないケースが多いですよね。受け手にとって元々ブラックボックスという意味では、AIが人間にとって代わられても不満を持つ人はあまりいないのかもしれない。元々誰が作ったのかを誰が歌っているのか以上に意識してポップスを聴く人は多くはないと思います。

また、同じ作曲家でも、ポピュラーミュージックと西洋音楽とでは立ち位置が全然違うんですよね。西洋音楽の場合は作曲家がピラミッドの頂点だから、ポピュラーミュージックにおけるプロデューサーのように、作曲家に対して上からアイデアを指示したり作品の方向付け見せ方を決定するといったことが立場上できる人はいない。

ある意味西洋音楽における作曲家は作品におけるセルフプロデューサーでもあるので、仕事が下請けではなく起点になる。(仕事が)奪われるかどうかの意識は、商業作曲家とはかなり違うのではないかと思います。その意味で、西洋音楽のような仕事を奪うことは人間以外の生命体には難しいように思います。

そんな中で、どういった作曲家のあり方が今後スタンダードになっていくと思いますか。

今のクリエイターの常識も十人十色なので、一つのスタンダードに皆が追従すれば成り立つとは思えませんが、理想を言えば、作曲家はクリエイションにおける全責任を負ってプロデューサーも兼ねて、細部まで作曲した人間の作家性を色濃く残すために、作品の実装のための予算を取ってきて企画を立ててプロジェクトを全部まとめるところまでできているといいと思います。

でもポップミュージックの世界は分業が徹底されているから、それぞれの役割でのエキスパートがいますし、作曲家が一人であれもこれも巻き取って専業の人レベルに成果を出すのはなかなか難しいですよね。エンタメだと予算を取ってプロジェクトを立ち上げた事業責任者でもない限り、全体のクリエイションに対して作曲家程度では口出しする権利はなかったりすると思います。

「依頼の言葉の中に含まれていない意味まで深読みして、頼まれていないことまで含めて提案を形にするのはAIにはできない」といったことを以前Twitterで仰っていましたね。

そうですね。商業的な作曲の依頼で作曲家やサウンドクリエイターに対して「こういう音楽を作ってください」と発注をするプロデューサーやクリエイティブディレクターと呼ばれる人は、そもそも音楽家とか作曲家ではないケースが多いですよね。どのように発注をすれば思い描いているものが形になるのかがうまく言葉で伝えられない人のほうが多いと思うんですよ。だから作曲家ってコンサルタントじゃないですけど、「表面的にはこういう風に言ってるけど、本当はこういうことを求めてるだろうな」というところまである程度読みながら作っていく必要があって。

言葉を額面通りに受け取って作っても80点以上にはならない。それ以上の質を達成しようと思ったら、それまでのプロデューサーとの会話とか語彙力、他の人とのお仕事など、色んなものから本当に必要としている音を推測する必要がある。そこまでクロスモーダル(編注:視覚と聴覚など、本来別々とされる知覚が互いに影響を及ぼし合う現象)な命令の実行は、今のAIの技術が内包しているのとは違う技術なんですよね。

音楽には主観的な部分も大きいですしね。

「明るい」とか「暗い」とかの基準も人によって違いますからね。たとえば「今回は暗い感じの音楽は避けたいんです」と言われて、明るい音楽だけでなくやや暗い音楽もあえてオーダー外で作って提出したら、「こっちのほうが全然ポジティブな感じでいいですね」と言われたりする(笑)。

普段の会話の中からその人の言葉が本質的に意味するものを学習しないと、本当に思っていることを摑むことはできない。そのあたりまで考えて音楽を作るのが、クライアントワークのコツなのかもしれないですね。