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同人音楽発! 作曲家・アレンジャーMANYOに訊く、クリエイターに必要な“妄想力”を豊かにする秘訣(インタビュー後編)

前回の更新に引き続き、作曲家・アレンジャーのMANYOへのインタビューをお届けする。

現在放送中のテレビアニメ『神様になった日』における、麻枝 准(原作・脚本・作曲)との独特な仕事の過程について伺った前編。後編では、麻枝やRevo(Sound Horizon)とも同世代であり、長らくゲーム音楽の世界で活躍してきた氏の歩みと仕事術について伺った。

幼少期から親しんだコンピュータゲームやTRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)の影響から、「イマジネーションを膨らませ、世界観を作る」ことに大きな喜びを見出してきたという氏。キャリア20年を数え、より「世界観を作る」ことに集中するべくミニマリスト的な生活様式を断行しているというその姿勢は、若い世代のクリエイターにも大きな刺激になるはずだ。

大ベテランながら、僭越にも「この人はこれから(さらに)活躍する!」と思わされたインタビュー。『神様になった日』で初めて氏の名前を知った方にも、前編と合わせてぜひご一読いただきたい。

▼前編はこちら▼

オンラインのコミュニティとオフラインの同人文化が生んだ熱狂

音楽には子供の頃から触れられていたのでしょうか。

実は、歌謡曲とかすらもほとんど聴いていなくて。ゲームがずっと好きだったんですけど、その延長で高校生の頃に「コンピュータで自分の好きな音が鳴らせる」ことを面白いと思って、直接DTMに行った感じなんですよ。

高校生の頃というと、いつ頃でしょうか。

90年代の前半ですね。当時パソコンのゲームといえばFM音源が主流だったんですが、よりゴージャスなMIDI音源に対応したゲームが出ると知って。パソコンにつなぐとMIDI音源を鳴らすことができる、ローランドのCM-32Lという機器をバイトして買ったんです。すると「ミュージ郎」という今でいうDAWみたいなソフトもついてきて。ゲーム雑誌に付録でスコアがついていたりもしたので、遊び感覚で打ち込みをやっていたんです。

なるほど。

それで大学に入ったら、新歓でゲーム音楽をバンドでやっている「ラテン音楽愛好会」というサークルを見つけて。ゲーム音楽を生演奏でやる人たちがいるんだ! ということに衝撃を受けて、楽器なんてまったく弾けないのに入りたいですと言って(笑)。とりあえず鍵盤をやり始めました。

そこで演奏技術をひと通り身につけられたと。

と言っても、現在でも鍵盤はレコーディング用にちょっとやるだけですね。先輩からラテン音楽を教わって好きになったり、そこから派生してジャズやフュージョンが好きになったりといった音楽性の広がりはあったんですけど、あまりプレイヤーとしての喜びは見出せなかった。やっぱり自分が作ったもの、アレンジしたものを上手い人に弾いてもらいたいという気持ちのほうが強かったですね。

Santana – Oye Como Va (Audio)

オリジナル曲を人に聴かせたのは、サークルの人たちが最初でしたか。

その前にパソコン通信がありました。当時はニフティサーブが通信サービスの最大手でしたが、フォーラムという機能が提供されていて、その中にジャンル別のコミュニティがいろいろあったんです。自分は「FMIDIORG」という、MIDIで作ったオリジナル曲をアップロードし合うコミュニティに参加していて、そこが自作の曲を他の人に聴いてもらった最初の場所でした。当時は電話回線でのやり取りでしたから、データ容量の小さいMIDIでのやり取りが主だったんですね。

同人活動の初期はMIDI音源をCDに焼いて売られていたのでしょうか?

そうですね。同人CDの即売会が開催されるようになって、PCゲームの二次創作がひとつのムーブメントになっていったんですよ。Leaf・Keyのいわゆる「葉鍵」ブームが来た頃がおそらく最盛期で、当時はすごい行列ができていました。

独特の熱気がありそうです。

閉じられたコミュニティの中ですごく変わったことをやっているという意味では、初音ミクの黎明期に似ていると思います。「これ、ひょっとしたら将来的に化けるかもしれないんじゃないか?」という、言いようのない興奮が皆に共通してありました。

パソコン通信のフォーラムと同人CDの文化はどのくらい重なっていたのでしょうか。

オリジナルと2次創作で全然文化圏が別なんです。なんだったらちょっと仲悪い感じで(笑)。テクノロジー的にはどちらも同じものを使っているんですけど、思想的には異なる。

元も子もない話ですけど、二次創作のほうが注目してもらえるんですね。一時期オリジナルが二次創作に飲み込まれたという表現が正しいと思います。「行列もできてすごい人気だし、オリジナルから二次創作に行ってみようかな」といったことはけっこうあった。二次創作ブームがある程度落ち着いてきたところで、オリジナルをやり出す人が現れ始めたという感じです。

で、その頃にはオーディオインターフェースとかの値段も下がってきて、生演奏や歌も入り始めた。強い作家性を持った人も出てきて、Sound Horizonなんかはまさにそうした中のひと組ですね。

「The Assorted Horizons」ダイジェスト/Sound Horizon

即売会でゲームメーカーの方から声をかけられて仕事につながることもあったのでしょうか。

二次創作をしていたときは基本的になかったと思います。オリジナルで歌ものを作ったあたりで声をかけられて、という感じですね。自分が最初にPCゲームの仕事をしたときは、メーカーから突然メールで連絡がきました。

一方パソコン通信のコミュニティの中で、ゲームメーカーで仕事をしている人たちと出会ってもいるんですよ。その中にチュンソフトの加藤恒大(編注:「たくまる」名義でも活動。MANYOとはサークルLittle Wingを結成し活動していた)くんという、『かまいたちの夜』の音楽も作った人がいて。彼と楽曲の共作をしている中で、ちょっと手伝ってくれないかという話になったのが、仕事として音楽に関わった最初です。当時は『トルネコの大冒険2』が出る頃で、すぎやまこういち先生の楽曲のデータを打ち込んだり、シンセの音を足したりしました。『かまいたちの夜』のアレンジCDも出しましたね。

パソコン通信からの流れと同人音楽からの流れが同時に進んでいたんですね。

そうですね。どちらかがブレイクスルーになったというよりは、間口を広くとっていたからいろいろな仕事につながったんだと思います。大変革が数年のうちに起きたという感じだったので、とにかくいろいろ試したかったんですよ。

作品を作るとは「箱庭」を作るということ

ご自身の作風や作曲家・アレンジャーとしての強みはどのようにして見出していきましたか。

最初にお話ししたように、子供の頃からいろいろな音楽を聴いて育ってきたタイプではないので、初めは少ない引き出しの中でやっていくしかなかったんです。大学の先輩から教わったラテン音楽とか、ジャズやフュージョンとか、ずっと聴いていたゲームミュージックとか……あとはギタリストの友達から教えてもらったザバダックに夢中になって、民族音楽に目覚めたのは大きかったですね。今の作風の中にもエッセンスとして入っていると思います。

ZABADAK 30周年記念演奏會 @東京キネマ倶楽部・2016

Sound HorizonのRevoさんにしてもMANYOさんとご一緒することも多い霜月はるかさんにしても、同人CDのムーブメント出身で音楽作品を作り続けている人は民族音楽的・ファンタジー的な音楽性や世界観がバックボーンにあることが多い気がします。これには世代的なものもあるのでしょうか。

おそらくですけど、皆さん「箱庭」を作るのが好きなんですよ。TRPGってご存じですか? 会話型RPGとも言われるアナログのゲームで、シナリオとかも自分で作るんです。自分の理想とする地面を作って、建物を建てて……みたいな、素材から作るという発想が培われる。僕の場合、そんな中でたまたま音楽という素材を選んだという感覚があって。

音楽をやる原動力が、演奏が上手くなりたいとか、大きなステージに立ちたいとかじゃないんですよね。あくまで「箱庭」を作りたいというのが先にくるので、制作作業に没頭しがちなんだと思います。

ファンタジー的ではない世界観の作品の音楽を手がけることもあるかと思いますが、そういうときにはどのように発想していきますか。

たとえばSFや現代の学園ものでも、その「箱」の中でどういった世界観を表現するかということを考えます。設定やイメージボードが用意されている場合は、もちろんそれを参考にしつつ。

何もない状態で、「MANYOさんの好きな音楽を作ってください」と言われるのが一番困るんですよ(笑)。少し前にKONAMIの『REFLEC BEAT 悠久のリフレシア』という音ゲーの仕事でまさにそのように依頼されたんですけど、そのときにもまず世界観を作るところから入りました。砂漠のような荒廃した世界を進んでいく空飛ぶ飛行船があって、それをめぐる物語みたいなのがあれば面白い曲が書けるかな、と……。映像と音楽は常にセットという考え方ですね。

作曲家としてのやりがいはどういったときに感じられますか。

与えられた課題に対して、自分ならどういった世界観を提示できるかというチャレンジを常にしてきたという感覚があります。曲を提出する際は「こういった世界観で書きました」というキャプションをつけて返すようにしていますし。

劇伴でもゲームミュージックでも歌ものでも、その中でちゃんと世界観が構築されていないと自分の中で違和感がある。逆にそれさえできていれば自分の中で楽しい仕事になるので、そういったスタイルを保とうという意識があります。

自分が作品においてどういったポジションで関わるのかということについては実はあまり興味はなくて、自分の中でイメージがしっかり出来上がっているかどうかを常に最重要と思っていますね。

『MANYO WORKS BEST!!』全曲試聴クロスフェード
『MANYO WORKS BEST2』全曲試聴クロスフェード

作曲家ごとに違った編曲家としての関わり方がある

楽曲を形にしていくにあたって、演奏してくれるプレイヤーの方に直接イメージを伝えるようにしていますか。

基本的にはなるべくコミュニケーションを取るようにしていますね。ディレクションとまではいかなくても、現場にはなるべく立ち会うようにはしています。で、そこでするのもやっぱり「この曲はこういうストーリーで」とか、あまり音楽用語を使った会話ではなくて。「すみません、音楽用語じゃないんですけど……」と前置きで言いつつ(笑)。

ボーカリストの方に対してはどうですか。

声優さんとかの場合は、コンディションを最大限に引き出す専門のディレクターの方が必ずいらっしゃるので、そこはお任せしています。いわゆるボーカルアーティストの場合は、割と本人とも意見交換をしますね。同じ「切なげ」でもどこまでの「切なげ」なのかとか、この「切なげ」にはどういった背景があるのかとか、そういうことはなるべく直接伝えないと、意図したものにはならないと思うので。

編曲という立場で関わる場合は、作曲者の方と密にディスカッションしながら方向性を詰めていくのでしょうか。

たとえば霜月はるかさんの場合だと、彼女自身もすごく明確な世界観を持っている方なので、「霜月さんの世界観」vs「僕の世界観」になるわけですよ。そういった中でどんな方向性に落とし込むかというのは、かなり綿密に話し合います。

でもそれは霜月さんの持っている世界観をどう自分の色で変えていけるか、ということではなくて。抽象的な表現で恐縮ですけど、たとえば霜月さんの球体のような世界観があったとしたら、その表面に自分がどう張り付いたらきれいな球体になるか……こういう塗り方をすればもっと膨らむんじゃないか、表現が尖ったりするんじゃないかというのを探る感じです。

『レムルローズの魔女/霜月はるか』 全曲試聴クロスフェード

それを聞くと、編曲家ってコミュニケーション力がすごく問われる仕事なのではないかと感じます。

でもメロディメーカーとアレンジャーっての関係って、基本的に「話せばわかる」という関係ではないと思うんです。だからこそ作家さんごとに合った関わり方を探っていかないといけない。

たとえば今だとシンガーソングライターの大原ゆい子さんの楽曲のアレンジを任せてもらうことが増えているんですけど……去年だと、アニメ『からかい上手の高木さん』2期の挿入歌として流れた「君と光」ですね。この曲は、最終回でかかることが予めわかっていたんです。「夏祭りのシーンでかかります」「絶対感動させる部分です」とか、断片的に情報は教えてもらっていて。その上で「MANYOさんなりのアレンジの仕方でお願いします」としか言われないんですね。そこから原作を読んでみたり、アニメを観返してみたりして、『高木さん』という作品の世界観の中でこの曲をどのように輝かせられるのかな、どういった曲が流れると胸を打つのかな、と考えてアレンジをしていくわけです。

大原ゆい子「君と光」

インタビューの前半にお伺いした、麻枝さんの場合とは対照的ですね。

そう、麻枝さんには麻枝さん流の感動のさせ方というのが明確にある。だからこそ麻枝さんに「同化」して探っていくというやり方が有効なわけですけど、そのやり方を大原さんに当てはめても上手くいかない。関わる作曲家によって、意識の持ち方はまったく違いますね。

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