2021.12.10

ケンモチヒデフミ インタビュー(前編) 水曜日のカンパネラを支えるクリエイターの唯一無二のスタイルに迫る

水曜日のカンパネラのメンバーとして、また「Kenmochi Hidefumi」名義でのソロ活動、xiangyuのプロデュース、多数のアーティストへの楽曲提供など幅広く活躍するケンモチヒデフミへの取材が実現した。

00年代にはNujabes主催の〈Hydeout Productions〉よりインストゥルメンタル楽曲のアルバムをリリースしてきたケンモチは、2012年に始動したポップユニット「水曜日のカンパネラ」のメンバーに参加し、作詞・作曲・サウンドプロデュースを担当。先鋭的なトラックとオリジナリティあふれるリリックを融合させた独創的な音楽性を確立し、中毒性の高い楽曲を多く生み出してきた。 2021年11月には水曜日のカンパネラに2代目ボーカリストとして新メンバーの詩羽(うたは)が加入し新たな活動がスタート。他にも2019年から久々に復活させたソロではジューク/フットワークを旺盛に取り入れ、xiangyu、希来里パイ、femme fatale、電音部など、多数の様々なプロジェクトに携わっている。前編では、水曜日のカンパネラでの活動とソロワークスとの違いを中心に、そのユニークな音楽活動のスタンスを語ってもらった。

水曜日のカンパネラの始動に至るまで

ケンモチさんは00年代に「Kenmochi Hidefumi」名義でトラックメイカーとして活動されていた頃、そして2012年に水曜日のカンパネラのメンバーとなってからもしばらくは会社員として働きながら音楽活動を行っていたと伺いました。その頃はどんな形で音楽を制作していたんでしょうか?

初期は、音楽と全く関係ないIT系の仕事で会社員として働いていたので、それが終わってからですね。僕は夜勤が多かったので、家に帰ってきてそのまま寝ないでずっと制作して、倒れこむようにちょっとだけ仮眠を取って、また起きて制作するみたいな繰り返しでした。

34歳くらいまでそういう形でやっていたんですが、当時の自分としてはそれが嫌だったわけでもなくて。二足のわらじみたいな感じで、本業で毎月一定の収入を担保しつつ空いた時間で自分の好きな音楽を追求することで、精神的余裕が両立できていたんです。「このスタイルが合ってるのかな」とその時は思っていたんですが、最終的には体力的な面で「これを続けるのはつらい」ということになって。それならば音楽の方に賭けてみようと思って以前の会社を退社して音楽一本でやっていくことにしました。

2008年のデビューアルバム『Falliccia』

初期の制作環境は、どういったものだったんでしょうか?

最初に音楽を始めたときは、Roland VS-840というハードディスクレコーダーとAKAI MPC2000というシンセサイザーと、あとはYAMAHA QY700というハードウェアのシーケンサーを使っていました。ギターやベースは自分で弾いていました。それが20歳くらい、2001年頃にインストのトラックを作り始めた頃の最初の機材でしたね。当時は今ほどPCオンリーでやる人は少なかったと思います。

水曜日のカンパネラが軌道に乗り、音楽に専念するようになって、どんな変化がありましたか?

まず良い面は、自分が音楽に携わることのできる時間が増えたということでした。悪い面は、会社員から音楽一本になったことに最初のうちは慣れなくて大変でした。自分で仕事の時間と休む時間を決めないといけないし、ずっと家にいるというのも辛いことだった。

電車移動についても、面倒くさいと思っていたんですけれど、何もない空白の30分とか1時間に「あの曲をこうしよう」と考えている時間が実は大事でした。自粛期間を経験した皆さんの中にはわかる方もいると思うんですけれど、「出勤するってあんな素晴らしいシステムだったんだ」というの会社を辞めた後に気がつきましたね。

現在もYouTubeにアップされている最初の音源「オズ」(この頃はボーカルが2人だった)
2013年の1stアルバム『クロールと逆上がり』

水曜日のカンパネラに加わってから作風もかなり変わったと思うんですが、それはどういう変化だったんでしょうか?

自分ひとりでインストを作っていた時代も10年くらいあって、その中でもマインドの変化は経てきていたんですけど、カンパネラになった時に一番大きかったのは他の人と一緒にやることになったことですね。それまでは若さもあって、他の人が自分の音楽に入ってくるのをあまり信用できなかったんです。そこの線引きが消えて、歌モノを作るのも初めてだったので慣れないことづくしで、最初は当然うまくいかなくて。あがいているうちに、かつてのインストのファンも消えてしまって(笑)。「ここまで来たらこれを突き詰めてやっていくしかないな」ということになり、自分も歌モノを作るのは初めてだし、ボーカルのコムアイも歌うのが初めてだったので、初めての者同士だからこその独自感を追求していくしかないということで水曜日のカンパネラのスタイルを模索していった感じです。

コムアイボーカル時代の代表曲「桃太郎」

キーワードは「シリアスさとファニーさの同居」

2019年からはソロ名義での活動を復活させ、ジュークやフットワークといったジャンルに取り組んできましたが、この辺りの興味の変遷はどのような感じだったのでしょうか?

僕が水曜日のカンパネラの曲を書かなかった時期に、活動がストップしていたインストのソロプロジェクトを数年ぶりにやってみようと思って、そのときに目を付けたのがジュークとフットワークだったんですね。その頃にはカンパネラも大きくなりつつあったので、「しっかりクオリティの高いものをちゃんと作らなきゃいけない」というプレッシャーがちょっとずつ積み上がっていたんですけど、そんな折に聴いたジュークとかフットワークのめちゃくちゃ適当なトラックが心に刺さった。「クラブミュージックってこんなに雑に作って楽しかったんだよな」という初期衝動に立ち戻ったんですよね。

ケンモチさんご自身が「なぜFootworkをやり始めたのか?」を解説した動画
2019年のソロ作『沸騰 沸く ~FOOTWORK~』

xiangyuさんのプロデュースに関しては、歌詞のオリジナリティもさることながら、南アフリカのゴム(Gqom)やシンゲリ(Singeli)といったジャンルを取り入れたという独自のビート感も魅力になっていたと思います。この辺りの狙いはどんなところにありましたか?

xiangyuのプロデュースについてケンモチさん自身が解説した動画
xiangyuの1st EP『はじめての〇〇図鑑』

やっぱり、そこに関してはクオリティよりも目新しさが強みとしてあって。綿密に作った歌モノとしてのテクニカルなところは真似できないと思うので、むしろ誰も取り入れてなさそうなビートで勝負するのがいいのかなと思ってやっていました。たとえば(Webメディアの)FNMNLにゴムが流行っているという記事が掲載されているのを友達から教えてもらったり、ele-kingの特集でシンゲリが流行っていると知って「ちょっとやってみよう」と思ってやってみたりして。

ゴムの例。DJ Lag「Ice Drop」
シンゲリの例。Makaveli「Nammiliki」

ここ最近、1〜2年くらいはジャージークラブ(Jersey Club)が面白いなと思っていますね。そういうアンダーグラウンドなベースミュージックを無理やりにでもポップスに乗っけちゃえというスタイルでやっています。

ジャージークラブに関してはどういうところに面白さを見出したんでしょうか?

ジャージークラブはもともとリミックスの文化から生まれてきたもので。元のR&Bのゆったりした曲をジャージークラブのビートの上に強引に乗っける手法がファニーで面白いなということですね。フットワークと同じような、シリアスだけどどこか間抜けで笑えちゃうところがある。カンパネラもそうかもしれないんですけど、シリアスさとファニーさが同居しているのが好きなんですね。

ジャージークラブの解説動画(英語)

たしかに、ケンモチさんの作風として、言葉のインパクトの強さだけでなく、サウンドにも独特の素っ頓狂さがありますよね。絶妙なバランス感覚で成立しているものだと思います。

確かに、他の方にも「水曜日のカンパネラのフォロワーは出てくるのが難しい」と言われることがあって。「それは何でですか?」と聞いたら、「ギリギリのところで成立していて、一歩でも間違うと本当にダサくなっちゃう」と言っていたんです。僕らとしてはそこまで意識しているわけじゃないんですけど、組み合わせてギリギリ格好よくも格好悪くもないところを一点だけ探してピンを打つような感じになっているのかもしれないですね。

水カンは2代目ボーカルに。どんな変化が?

水曜日のカンパネラは今年コムアイさんから2代目歌唱担当の詩羽さんにメンバーが変わるという大きな変化を迎えたわけですが、ケンモチさんとしてはどう捉えていましたか?

数年前から僕の書く曲とコムアイのやりたいことが少しずつ離れてきているというのは、なんとなく肌感で分かっていたので、まず、コムアイが脱退するという決断については納得できるところがありました。そこからDir.Fと2人で話し合ったのですが、彼が「とりあえずケンモチさん一人でも、僕ら2人だけでも存続させて、ボーカリストを見つけるか、コラボレーションしていくみたいな形で、カンパネラは続けませんか?」と言ってくれて。僕としては「コムアイが辞めるとなったら、水曜日のカンパネラは終わりにしよう」と言うんじゃないかなと思ってたんで、驚いたんです。「そういうのアリなんだ」と思って。それで、「じゃあそれでやりましょう」ということになって、何人か会ったり、歌を聴かせてもらったりとかしてるうちに、詩羽が見つかって、「もしかしたらこの子だったらいけるんじゃないか」ということで加入してもらった感じです。

詩羽さんに出会わなかったら、ゲストボーカルを曲によってフィーチャリングしていくみたいなこともあり得たということでしょうか?

そうですね。当初はそのつもりで考えていて、その中で詩羽に会って、「もしかしたら全曲この人でいけるのか?」という予感がして、本人にも聞いてみたら「やります!」と二つ返事で言ってくれたので、お願いすることになりました。

詩羽さんが入ったことでクリエイティブはどういう風に変わりましたか?

「アリス」と「バッキンガム」という2曲を同時に出したのですが、「アリス」のほうは詩羽が入るということが決まってから作った曲だったんですね。なので、詩羽の声質とか、キーのレンジがどれくらいかとか、彼女のイメージとかを色々考えて、新しいカンパネラを提示する曲にしました。

水曜日のカンパネラ「アリス」

そしてもう1曲、「バッキンガム」は詩羽に決まる前に、僕が頭の中でコムアイのボーカルが鳴っている中でイメージして作っていた曲で。歌詞の感じにも、わりとかつての水曜日のカンパネラらしさが残っています。どっちが先に出ても僕はいいかなと思ってたんですけど、3人で話し合って、今までのカンパネラファンにとっても、これから詩羽のイメージを作っていくためにも、2曲同時に出すのがいいんじゃないかということで、そういう風にスタートを切ったところです。

水曜日のカンパネラ「バッキンガム」

インタビュー後編はこちら。

取材・文:柴 那典

ケンモチヒデフミ プロフィール

Kenmochi Hidefumi
サウンドプロデューサー/トラックメイカー/作詞家/作曲家。
2000年代より『Kenmochi Hidefumi』名義でインストゥルメンタルの音楽を作り、クラブジャズ系のシーンで活動。Nujabes主催のHydeout Productionsよりアルバムをリリース。
2012年より<水曜日のカンパネラ>を始動。現在はxiangyuやその他、アーティストプロデュースや映画、CMなどの音楽も幅広く手掛けている。
2019年5月に自身の9年ぶりのニューアルバム『沸騰 沸く ~FOOTWORK~』をリリースしソロ活動も再開させライブ、DJと勢力的に活動している。