2020.09.08

「embrace the technology」感情をもってテクノロジーと接するということ(編集部コラム)

「DAWの画面から個人のクリエイティビティは再現可能なのか?」
3人組ヒップホップ・ユニットのDos Monosは、そんな興味深い問いを新譜の広告という形で提示した。

件の広告は、リリース前の新曲のDAW画面をAbleton社公認のもと屋外広告として掲出し、他のクリエイターに、そのDAW画面を元にトラック制作をしてもらうというもの。

「楽曲のアイデンティティはどこにあるのでしょうか? 古典的なクラシック音楽の時代なら、それは作曲家が書き記した楽譜や、本人による演奏にあったのかもしれませんが、DTMによるトラックメイクの時代では、定義が揺らいでるように思われます。」とは、企画にあたってのアーティスト側からのコメントである。

Dos Monosのプロデューサー/ラッパーの荘子itは、さる8月17日に行われた生放送のトークイベント「さやわか × 荘子it × 吉田雅史『キャラクターから考えるヒップホップ――トランプ・ヒプノシスマイク・シミュレーショニズム再考』」に登壇。彼らが仕掛けたこの企画についても議論を交わしていた。

筆者なりにイベントでの結論を要約すればこうなる。

確かにDAW画面上にサンプリングした音を配置していくことは「データベース」を作ることに似ているところがある。実際、どこでブレイクが入るのかなどの時間軸に沿った構造に関しては、広告を見ながら音を配置していけば、オリジナルとそのまま一緒になる。
しかしそこに使われているサウンドの「素材」は異なり、オリジナルと聴き比べると確かに違う「質感」を持ったトラックになっている。
人間と機材やソフトとの相互作用の中から、今なお新しい作品は生まれている。AIがデータベースの組み合わせから無限に「作品」を作り出せる、人間はもはや「作品」には不要だ、というのは見当違いだ。
しかし、これを「結局“人”が大事だよね」というバックラッシュとして捉えるべきではない。「データベース論」的なものを通過した上で、新しい「人間‐機材・ソフト‐作品」の関係が生まれているのだ……

DAW画面が公開されたDos Monos「The Rite of Spring Monkeys」(2ndアルバム『Dos Siki』収録)

「僕の音楽は、他の音楽家からの影響以上にAbletonのアーキテクチャからの影響が大きいくらい。」と荘子itは言う。

具体的にどのような機能からどのように影響を受けたのかは、以下のインタビューに詳しい。

荘子it 「〔…〕オレがAbletonのいちばん面白い機能だと思っているのは、ワープ機能ってやつなんです。サンプリングした音でも弾いたギターの音でも、オーディオ・データのなかでピンを打って、そのピンとピンの間隔を引き延ばしたりして打点をずらしていく。レコードなりからサンプリングした3秒のフレーズを伸縮させてそれを整えていく、みたいな作業ですね。絵画にたとえるならば、絵具をいちどキャンパスにぶちまけてから作品にしていく感じ。そうやって緻密にループを作っていく。」

なおAbletonでは公式に、ワープ機能についての解説動画をアップしている。

新しいテクノロジーが現れた際、それがいかに技術的に新しいのか、仕組みを解説して(あるいは聞いて)満足するということは起こりがちだ。
しかしまずは無心に道具と戯れ、わからないなりに……ある種テクノロジーに逆行するような使い方をしてこそ、結果的に新鮮な表現が生まれるのではないだろうか。

筆者が個人的に面白いと思ったアーティストとして、Open Reel Ensembleを紹介したい。

古いアナログの記録メディアであるオープンリールを「楽器」として活用する。独自のライブ活動を行う他、最近では映像クリエイターとコラボしたアニメーションMVから人気に火が付き、YouTube世代を中心に人気のユニット「ずっと真夜中でいいのに。」のライブにおいても重要な役割を果たしている。

中心人物である和田永は、ブラウン管テレビや扇風機、バーコードリーダーを楽器に作り変える「ELECTRONICOS FANTASTICOS!」というプロジェクトも行っている。筆者もあるアートイベントで試奏させてもらったことがあるが、身近な家電から想像もしなかった音が出る、という体験が直感的にとても楽しかった(子供たちにも大人気だった)。

https://www.youtube.com/watch?v=YOVkl5wvZyg

テクノロジーというと、どうしても「未来に進むもの」というイメージがつきまとう。進歩主義的に新しいものを追い求めなければならない、そのためには歴史的背景や基盤となる技術をボトムアップ的に学習しなければならない……という強迫観念に駆られることもしばしばある。

Dos MonosやOpen Reel Ensembleの活動から学び取れるのはテクノロジーや機材と「遊ぶ」感覚であると思う。たまたま目の前にあった(のであろう)道具やモノに対する彼らのフラットなスタンスは、たとえば「紙とペンで描く」ということもまたテクノロジー=技術だということを思い出させてくれる。紙とペンだって、石器時代から見れば「未来の」テクノロジーだったわけだ。

海外音楽シーンにおいて、テクノロジーを取り入れてクリエイティブになる、ということを指して「embrace the technology」と言うことがあるのだと聞いた。「embrace」という単語には「愛情をもって抱きしめる」といった意味合いがある。このフレーズにはただ単にテクノロジーを取り入れるのではなく、感情をもってテクノロジーと接することが大切なのだという気持ちが込められているようにも思える。

最後に、先ごろ公開された「AR三兄弟」川田十夢がインタビューで語っていた言葉を引用したい。彼のスタンスを改めて確認したことで、自分がテクノロジーに対して抱えていたモヤモヤが綺麗に晴れた気がした。ぜひご一読いただければと思う。

―「最先端テクノロジー」というと、一般人からは距離が遠い、少しとっつきにくいイメージがあります。でも川田さんが書かれている内容には、距離の近さや納得感があるものが多いように感じます。その違いはどこからくるのでしょうか?

川田:テクノロジーは感情を置き去りにする。『東京モーターショー』など未来を見せるものはいろいろありますが、どれも人間の感情がどう動くかではなく、テクノロジーを使ってできることを見せようとする。いかに豪速球を投げるかという価値観。

そうではなく、僕は感情の伴う技術にしたい。感情が伴わないと技術は浸透しない。死生観が追いつかない。「お墓なんて現実にいらないよ」と言われても、拝みたくなるでしょ。

―たしかに。

川田:そういう少しずつしか変化しないモラルや人間の気持ちを補完するためにテクノロジーはあるはず。技術の先端をクールに見せようとすると、感情を突き放してしまう。

文:Soundmain編集部