
ストリーミングサービスとロックダウン――コロナ禍の今、「すべての音楽がアンビエント化する時代」を考える
新型コロナウイルス禍で音楽業界にも大きな影響が出ている。いまだ最適な答えは見つからない状態だが、配信ライブなど様々なテクノロジーを用いた新しいエンターテインメントの形も模索されている。
しかし考えてみれば配信はもとより、電気仕掛けのロックミュージックやクラブミュージック、それをもとにしたフェスカルチャーやレイブカルチャーというもの自体が、テクノロジーの発展なくしてはあり得なかったものである。ウイルスはそんな人間のテクノロジーの発展など「知らない」。彼ら(?)は人間文明が発展する時間軸とはまったく関係なく、一定の周期をもって人類史に登場する。
過去、パンデミックの時代に音楽文化にはどのような影響があったのだろうか。
ひとつの指標となるのはおよそ100年前に流行したスペインかぜ(1918年~1920年)だろう。当時はそもそも第一次世界大戦後ということもあり、世界中で経済的な疲弊が目立っていた時期でもあった。
加えてロシアでは1917年にロシア革命が勃発。20世紀を代表する作曲家・ストラヴィンスキーは財産の大半を失い、大掛かりなオーケストラや舞台演出を避けるため、7人の演奏者と3人の役者で上演できる作品《兵士の物語》を作り出す。しかしこの公演ツアーもスペインかぜの影響で失敗に終わったという。
そう、100年前には音楽家が自身の作品を発表する機会といえば、もっぱらコンサートでの演奏に限られていた。録音芸術の歴史をたどる際に必ず参照されるエジソンの蓄音機は1877年に完成したが、その後私たちが想像するような「レコード」の形で流通し始めるのは、スペインかぜの流行が収束を見せた1920年代半ば以降のことなのである。
『WIRED』の記事によれば持ち運び可能な電気式の蓄音機が発明されたことにより、大規模なスタジオがないような土地でも音楽の録音・複製が可能になった。土着的なルーツを持つ音楽が広く聴かれる可能性が開けたわけだ。「音楽の民主化」ともいえるこうした役割は、現代においてはiTunesやストリーミングサービスに受け継がれている。
コンサートどころか、自由な外出もままならない現在の状況の中で、部屋の中で音楽に癒しをもらった場面は誰しも少なからず記憶にあるだろう。しかしスペインかぜの時も、もちろんそれ以前のペストの流行時も、人類にはそのような形で音楽との関係を取り結ぶことなどできなかったのだ。
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では、コロナ禍・ロックダウンという状況下において、具体的にどのように/どのような音楽が聴かれていたのだろうか(こうしたデータが細かく取れるのはストリーミング時代ならではだ)。
ストリーミングサービス自体の利用者数はパンデミック初期に落ち込みはしたものの、その後は堅調な推移を見せていたという。そこでヒットする楽曲の傾向としては、TikTok流入のものが増えたようだ。これはある中心的な1曲をもとに、各自が「踊ってみた」り「歌ってみた」りすることが、自室で参加できるエンターテインメントとしてこれまで以上に盛り上がったということが一因として考えられる。
ジャンル・曲調という観点からはどうだろうか。YouTubeチャンネルの登録者数が顕著に増えているというデータがあるジャンルのひとつが、「ローファイ・ヒップホップ」だ。
解像度を落とした(ローファイな)音質でストリーミングされるジャジーでメロディアスなループミュージックであり、そのルーツとしては日本人トラックメイカー・Nujabesを筆頭として2000年代に流行した「ジャジー・ヒップホップ」というジャンルの存在が大きい。その音楽的性質からいわゆる「作業用BGM」としての機能性も高く、少女が自習に励んでいるジャパニメーション・ライクな映像が、初期の頃からセットで展開されていた。
音楽の歴史を振り返れば、「聴き流せる」音楽というものの歴史は浅い。「参加型」のあり方である古代の呪術・祭礼的な音楽はもちろん、クラシックコンサートも「椅子に座って静かに聴く」……「集中的聴取」と呼ばれる規範に支配されている。一見正反対な方向性であっても、何らかの形で「能動的」であることは音楽と人との関係性の基本だったわけだ。
そうした既成概念を壊そうとした作曲家が、フランスの作曲家、エリック・サティ(1866~1925)である。サティは「家具のように、いつもそこにあって生活に溶け込み、かつ邪魔をしない、意識的に聴かれることがない音楽」というコンセプトを生み出し、これを「家具の音楽」という楽曲に結実させた。サティは聴衆に「あたかも音楽など存在しないかのように会話を楽しんでほしい」と要望書を掲げて初演を行ったのだが、その先鋭的すぎるコンセプトは聴衆には理解されず、演奏が始まったとたん場内は静まり返ってしまったと言われている。
偶然の一致か時代の必然か、「家具の音楽」の初演は1920年……スペインかぜの流行が収束を見せた年である。「(この音楽は家具のようなものだから)がやがやと騒がしくしてよい」というサティの宣言は、現在の眼から振り返ると、パンデミックの流行が収まったからこそなされたようにも思える。
パンデミック下の現状、ライブ/コンサートを場内に観客を入れて行うことは難しい。もし可能になったとしても、初めは観客の数を平時の数十パーセントに抑えた上で、マスク着用、歓声などはなるべく上げずに……という形で行われることになるだろう。いわばサティが出したのと逆の要望を、会場側が出さねばならない状況なのである(その意味では、クラシックコンサートほど観客を収容しての演奏再開へのハードルは低いのかもしれない)。
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閑話休題。当初楽曲に付されたタイトルであった「家具の音楽」は、それ自体ある種の思想として、後世に影響を与えることになる。「BGM(バック・グラウンド・ミュージック)」や「アンビエント・ミュージック」といった音楽が、それである。
ブライアン・イーノにより提唱された「アンビエント・ミュージック」は、「家具の音楽」からさらに進んで、ある特定の場所や空間に「雰囲気を添える」ことを指向した音楽だ。日本語では「環境音楽」とも訳されるこの音楽をイーノは、「聴き手に向かってくるのではなく、周囲から人を取り囲み、空間と奥行きで聴き手を包み込む音楽」と定義する(「artscape」現代美術用語辞典ver.2.0より)。そのコンセプトはイーノによる最初期のアンビエント作品「Music For Airports(空港のための音楽)」のタイトルに、端的に表されている。
コロナ禍・ロックダウンとは、いわば「公共空間」が消滅した事態であった。私たちに残された空間は、もはや「おうち」……プライベート空間しかない。
そしてプライベート空間は、まさに「プライベート」であるがゆえに、どのような空間であってほしいかを「自分で決める」ことができる。そこで過ごす私たち一人ひとりの意思や行動に応じて、空間に求められる音楽も変わってくるということだ。
それが自習やデスクワークならば、「ローファイ・ヒップホップ」のような記名性の低いループミュージックということになるかもしれないし、エクササイズということであれば、気分を高揚させるアッパーな音楽が必要になるかもしれない。
もし、それらを包括して「Music For Own Rooms(あなたの部屋のための音楽)」なるものを考えるとするならば、それは日々サービスが利用されることによって蓄積されていくデータを基にした、AIによるレコメンデーションの結果になるだろう。
2005年に解散したバンド・スーパーカーの元フロントマンであり、現在は「HARDCORE AMBIENCE」なるライブイベントも主催する音楽家の中村弘二(ナカコー)による、以下の見解は興味深い。
「アンビエント」の名のもとに、ジャンルが解体・統合されていく――。
思えば、これまで音楽のジャンルとは「テクノロジー」と「空間」に規定されてきたものであった。ロックは電気がなければ成立しないし、クラシックはホールで演奏されたとき最もよく聴こえるようにデザインされている。クラブミュージックなどは電子機材を必要としつつDJとフロアのインタラクティブなコミュニケーションによって発展してきたという意味で、両者に規定される音楽の最たるものだろう。
いま、ストリーミングサービスという「テクノロジー」の普及とコロナ禍が私たちに迫る「空間」認識の変化は、これまでに積み上げられてきた音楽ジャンルや音楽と人との付き合い方そのものを、根底から破壊しようとしているのかもしれない。
逆に言えば、そのくらいに思ってまっさらな頭で手を動かしてみるところから、誰も聴いたことのないような新世界の音楽も生まれてくるのではないだろうか。
文:Soundmain編集部