
巨匠が語る、ハウス・ミュージックが世界を席巻した理由(世界に学ぶ! Vol.9)
Netflixでオンエアされている人気ドキュメンタリー『世界の“今”をダイジェスト』。この番組をプロデュースしている米国のニュース解説メディア「Vox」のYouTubeチャンネルでは、音楽関連の話題も取り上げられています。
今回の「世界に学ぶ!」シリーズは、Vol.8に続き「Vox」のドキュメンタリーを取り上げます。参照元の動画ではハウス・ミュージックが生まれた背景について、Black Boxのヒット曲“Ride On Time”を紐解きながら解説しています。
番組には、ビヨンセやシャキーラなどメジャー・アーティストのハウス・リミックスを多数手がけるFreemasonsのJames Wiltshireも登場。当時について語っています。
巨匠と共に、ハウス・ミュージックの歴史とレシピを学びましょう!
「ディスコが死んだ夜」
1979年7月12日、シカゴ、コミスキー・パーク。この球場を本拠地とする野球チーム・ホワイトソックスとデトロイト・タイガースのダブルヘッダー試合が予定されていたこの日、収容人数44,000人に対して55,000人の観客が球場に集まりました。
野球を観たいファンが集まったわけではなく、現地のラジオDJ、Steve Dahlが仕掛けた「ディスコミュージックをぶっとばせ」というイベントに参加したい観客が押し寄せたのです。
ディスコ嫌いのSteve Dahlは、聴かなくなったディスコ・ミュージックのレコードを野球観戦に来た人に持ってきてもらい、集めたレコードをセンターフィールドで爆破する、というイベントを開催することを思いつきます。球団関係者の伝手を頼り、かくしてイベントは実行されることに。
結果、収容人数をはるかに超えた観客は最終的にセンターフィールドにまで入り込み、暴動が起こる事態に。直後に予定されていたダブルヘッダー第2試合は中止となってしまいました。
この日は「ディスコ・デモリッション・ナイト(ディスコが死んだ夜)」として歴史に名を残しましたが、シカゴのDJやプロデューサーたちは、ドラムマシンを使ってディスコを表現することで、その後わずか数年間でシカゴを「ディスコが死んだ街」ではなく「ディスコをハウス・ミュージックとして蘇らせた街」にしました。Frankie Knucklesはこれを「ディスコの復讐」と呼び、やがてハウス・ミュージックは世界中を席巻することとなります。
Black Box“Ride On Time”
1989年にリリースされた、Black Boxの“Ride On Time”。アンダーグラウンドでのヒット曲から、ポップ・チャートで6週間1位を獲得するヒット曲に成長。その年イギリスで一番売れたシングルとなりました。
この楽曲を構成する様々な要素が、ハウス・ミュージックがどのようにして生まれたかを物語っています。特にヴォーカル、ドラム、ピアノ・リフの3点に絞って見ていきましょう。
ヴォーカル
James Wiltshire:「当時イギリスのレコード店で働いていた時、ある日店に来たお客さんが、「ワ――――――――!って叫んでるレコードくれないか?」って言ったんだ。」
上記のミュージック・ビデオで歌っている人は、実際にレコーディングに参加した歌手ではありません。音源に対してリップシンクしているだけです。
歌声の元となっているのは、ハウス・ミュージックで最もサンプリングされたディスコ曲のひとつである、Loleatta Hollowayの“Love Sensation”です。
James Wiltshire:「インストのテクノが大好きで、ヴォーカルが入った曲が嫌いだっていうスノビッシュな人でも、このヴォーカルは大好きだと言うんだよ(笑)」
1980年代、シカゴのラジオ局「WBMX」には、“Hot Mix 5”と呼ばれる伝説的なDJグループが在籍していました。メンバーであるRalphi RosarioやFarley “Jackmaster” FunkなどのDJたちが、ハウス・ミュージックの普及に大きな役割を果たします。
彼らはディスコ曲のリミックスを生で作りながら流しており、当時のシカゴでは、毎週土曜日の夜100万人が彼らの番組を聴いていたと言われています。中でも“Love Sensation”の12インチ・シングルに収録されていたアカペラ・ヴァージョンは、300回近くサンプリングされたとか。そうした流れから“Ride On Time”も生まれたのです。
ドラム
ローランドTR-909のキックドラムの存在も忘れてはいけません。ハウス・ミュージックを定義づける機材があるとすれば、このドラムマシンになります。
909は、1983年にローランド株式会社の創業者である梯郁太郎によって発明されました。この機材は、ヒップホップを牽引するドラムマシンとして知られる、(やはり梯郁太郎が発明した)TR-808の後継機です。どちらもアナログ・シンセシスで音が作られていましたが、909はシンバルとハイハットが本物のドラムからサンプリングされていたのが特徴です。特に909のオープン・ハイハットが、ダンスフロアを熱狂の渦に巻き込んでいったのです。
今でこそ909はハウス・ミュージックの象徴的な存在ですが、実は1984年には商業的に失敗したと言われていました。実際に作られたのはわずか1万台だったのです。
James Wiltshire:「シカゴでエレクトロニック・ミュージックを作ろうとしていたとき、プロデューサーたちのほとんどはお金を持っていなかったから、質屋に行って機材を探していた。そこで偶然にも、あの完璧なキックドラムを備えた楽器が売れ残っていたんだよ」
909のパンチの効いたサウンドはすぐにシカゴやデトロイトにまで伝わり、プロデューサーたちはハウス・ミュージックからインスピレーションを得て、テクノ・ミュージックを創り出していました。
シカゴ・ハウスとして初めてイギリスでNo.1を獲得したSteve “Silk” Hurleyの“Jack Your Body”や、
Adamski “Killer”のような、イギリス発のハウス・ヒット曲にも909が使われています。
こうした流れも踏まえると、“Ride on Time”のオープニングの数小節で909のキックドラムとハイハットが使われているのは、必然だと言えるでしょう。
ピアノ・リフ
1980年代後半には、様々なハウスのサブジャンルが形成されていきました。シカゴのプロデューサー、Phutureによる“Acid Trax”から発展していった「アシッド・ハウス」。
ソウルフルなヴォーカルサンプルとシンセサイザーを多用した「ディープ・ハウス」。そして、デジタルピアノのリフが特徴的な「イタロ・ハウス」。“Ride on Time”はイタロ・ハウスの名曲とも言えます。
イタロ・ハウスはハウスと「イタロ・ディスコ」という音楽を組み合わせたジャンルです。(「ディスコ・デモリッション・ナイト」直後の)1980年代初頭のシカゴで人気を博していたのが、イタロ・ディスコでした。
1982年にリリースされたイタロ・ディスコの楽曲“Dirty Talk”。このオープニングのベースラインとシンセ・アルペジオは、1986年のFrankie KnucklesとJamie Principleの名曲“Your Love”など、多くの初期のハウス・ミュージックに反映されています。
ディスコでありながら、ハウスと同じように、ドラムマシンやシンセサイザーで駆動するイタロ・ディスコのサウンド。ディスコとハウスをつなぐのが、このジャンルだったのです。
また“Ride on Time”の3年前には、シカゴのMarshall Jeffersonがハウス・クラシックのアンセム”Move Your Body”をリリースしています。この曲は、その後のハウス・ミュージックにおいてピアノ・リフが重要になっていくことを象徴する曲です。
ハウス・ミュージックでのピアノの使い方は、パワフルなリズム・ギターに似ています。“Move Your Body”の次に“Ride on Time”のピアノを聴けば、すぐにピアノ・リフに関連性があることがわかります。
ハウス・ミュージックのこれから
野球、レコード、ディスコ、ラジオ……様々な文化が交わる社会的タイミングにヒットした“Ride on Time”。シカゴでの創始時から、ハウス・ミュージックは常に異文化間の現象だったとも言えます。
1990年代に入るとハウス・ミュージックは世界的な音楽ジャンルとなり、909のキックドラムが世界中のダンスフロアで鳴っていました。
冷戦体制が崩壊し、「グローバリゼーション」「異文化交流」といった言葉がクローズアップされ始める時代に、必然的に求められた音楽だったのかもしれません。
<編集後記>
ストリーミングサービスによって数珠繋ぎ的に様々な国やジャンル、時代の音楽を聴くことができるようになった昨今。「異文化交流」がデジタルデバイスを介してひとりでも簡単にできるようになった一方、世界中の人々が同じような端末・サービスを使っているという意味で、それぞれの体験自体は均質になっているという見方もできます。
異文化が衝突した瞬間の生々しさがジャンルを形成するということは、実は起こりにくい時代なのかもしれません。
いまこそ、異文化が交わる時代に生まれたクラシック・ハウスを解体し、そのレシピを自家薬籠中のものにすることで、他のクリエイターに差をつけることができるのではないでしょうか?
文:岩永裕史、関取 大(Soundmain編集部)