bermei.inazawaさんの自宅作業環境
2020.05.12

こだわり続ければ海を越える! 「同人音楽の鬼才」bermei.inazawaの仕事術とルーツに迫る(インタビュー後編)

コミックマーケット、M3などの同人即売会で自主リリースした作品のクオリティーが反響を呼び、「同人音楽界の鬼才」として世間に発見されたbermei.inazawa(ベルメイ・イナザワ)さん。今では同人の枠を超えて「ぼくのりりっくのぼうよみ」や「やなぎなぎ」などのアーティストへの楽曲提供や、TVアニメ『ひぐらしのなく頃に 解』『ヨルムンガンド』『世界征服〜謀略のズヴィズダー〜』などのテーマ曲の作編曲、そして最近では中国発のノベルゲーム『Christmas Tina ‐泡沫冬景‐』の劇伴なども手掛けています。

「世界はイナザワを知らなすぎる」……2011年にビクターよりリリースされていた商業ベスト・アルバムに書かれていたキャッチコピーですが、一旦彼の音楽世界に入り込むとそこは“沼”。同人即売会でbermeiさんファン制作のアンソロジー本が出るほどの強固なファンベースを持ち、キャリアのスタートから20年間、一貫してフリーで活動しています。

そんなbermeiさんに、インタビュー後編となる今回では幼少期からの音楽遍歴を中心に、クリエイティブのルーツを掘り下げていただきました。

前編と合わせて、フリー音楽家という道を歩んだことがなるほど納得な、「鬼才」ならではのスタンスが垣間見える貴重な内容となっています!

▼前編はこちら▼

bermei.inazawaさんの愛猫

ずっと独学! 「同人音楽の鬼才」のルーツ

bermeiさんはいつ頃から「自分は音楽が好きだな」と思われていたんでしょうか。

幼稚園の先生がピアノを弾いて、みんなで歌うというのがあるじゃないですか。そのメロディを歌っているときに覚えて、先生がいない時に弾いて遊んでいたんですよね。その時はまだ音楽という言葉では考えてませんでしたけど、自分で音を出して楽しむというのを知ったのは多分その時じゃないかと。小学校の時には学校に足踏み式オルガンが各教室にあって、休み時間なんかに弾いて遊んでましたね。当時はドラクエが流行ってたのでドラクエのBGMを耳コピして弾いて、そうするとチヤホヤされたりなんかして(笑)。

僕が鍵盤に触れてると母親が喜んだりして、「ピアノ習いに行く?」と聞かれたりもしたんですけど、その時から自分の性格が出てたんでしょうね。習っているうちに嫌になるだろうなっていう予感がして、それは嫌だなと思って自分のペースでやろうと。それからずっと今に至るまで独学です。

先ほど(前編)、小学校の頃には漠然と「音楽プロになりたい」と思い始めたというお話がありました。ずっと独学ということですが、進路等で迷うことはなかったのでしょうか。

「音楽で食べていきたい」という思いは中学の頃にははっきりしていました。それでも高校は行かなきゃいけないかなということで、家から一番近い高校に入学したんです。

入学してすぐ、やっぱり高校を辞めて専門学校にでも行ったほうがいいのかと、体験入学もしてみたんですよ。でもそこでやっていることが、自分にはそんなにレベルが高いものに思えなくて。それだったら中学3年間自分の家でやっていたように、高校3年間も自分で曲を作ったり研究したりしていれば十分かなと思い、そのまま高校を卒業したという感じです。

なるほど。高校では部活動などはされていたのでしょうか?

ジャズ部に入っていました。吹奏楽部も軽音部もあったんですが、当時はジャズが好きだったので。本当はサックスがやりたかったんですけど、人数に空きがなかったので仕方なくピアノを(笑)。

部活の先輩には音大に行く人も結構いて、自分も勧められたりしたんですけど、不勉強なのか何なのか、楽典を勉強するっていう考えにならなくて。「そういう風に音楽をやりたいわけじゃないんだよなぁ」っていう自分でも不思議な感覚があって、音大に行こうとは思わなかったですね。

その頃憧れのプレイヤーはいましたか?

あまりプレイヤーとかアーティストを意識しないんですよね。当時聴いた曲でいいなと思ったアーティスト名は覚えてるんですけど。ジャズが好きと言ってもジャズ要素のあるアーティストプロダクトが好きということであって、特段プレイヤー自体に憧れるという感じではないんです。

フュージョンとか、ジャジーな感じが好きだったんでしょうか。

そうですね、フュージョンも好きでしたし、あと当時流行ってたジャズハウスっていうのかな、ハウスビートの上でジャズをやってるような曲をレンタルCDで借りて、カセットテープとかMDに録音して聴いてました。その前は普通にテクノが好きだったんですけど。

物心がつく前からYMOを聴いていたらしいです。一番初めにCDを親に買ってもらったのが小学5年だか6年だかで、それもYMOのCDでした。YMOはすごく好きですね。曲の音のあり方も展開の仕方も全部好きでしたし。クローズドな音の傾向が好きなのもこの影響かもしれません。

そうやっていろいろな音楽を聴きつつ、コード理論や技術的なことも、独学で学んでいったと。

部活でやるのはビッグバンドジャズですけど、一応弾く上ではアドリブもするので、ジャズとはどういうものだろう、ということで初心者向けの教則本を買ってみたことはあるんですが、ピンとこないなっていう感じがやっぱりあって。

「こういう風にやるとこうなんだ」ってことを自分なりに消化して蓄積した後で、当時買った本を何年も後にたまたま読み返してみたら、「あ、これ自分がやってることだな」っていう納得の仕方をすることがあるんですよね。そういう意味でへえ~と思うことはありましたけど、文面で読んで学ぶ、っていうことはあまりやらなかったですね。

知りたいことがありきで色々調べたりするタイプではないと。

自分の性格的に、例えば数学でも公式が信用できなくて毎回全部計算したいみたいなところがあって、「これはこうです」と言われても素直に消化できないんですよね。こうやってみたらこうなったから、じゃあ(別の)こういうやり方ならこうなるのかなとか、その連鎖にしか興味がなくて。

例えばアレンジの話で、ピアノでコードを弾いたとします。今感じた響き、とりわけ空気感が好きだとして、なんで好きなのかっていうと今の自分の感傷のある部分にひっかかったからだと。でもそれってピアノの構成音だけでそう思ったんじゃなくて、音色の頼りなさや力強さだったかもしれない。それどころか実はピアノの音そのものじゃなくて、音が止んだ後の静謐感の方に惹かれていたのかもしれない。最後にリバーブかけたら別にどうでもいい音になってしまったのはそういうことだったのか、じゃあ音場をどうしよう、とか、そういう風に細かい判断が全部繋がって作品表現になってると思うんですよね。

作品って、色んな微細な要素が多岐に渡って、それが積み上がって出来上がっているって思っていて。あらゆるバランスが全部関係してるっていう考え方で作るので、だからコード理論だけ勉強してもなぁ、そこは興味ないんだよなぁ、みたいな気持ちは今でも変わらないですね。

当時のテクノロジーの制約が、探究心に火をつけた

自分のオリジナル曲を作りたいというか、曲作りに目覚めた時期はいつ頃なんでしょうか?

小学校6年ぐらいですかね。親にMSXパソコンを買ってもらったんですよ。MSXでMML(ミュージック・マクロ・ランゲージ)を使って、FM音源でメロディーを鳴らしたり、和音を鳴らしたりを自分でプログラムできるってわかって。これで音楽作品を自分で作れるんだっていうのを知ったんです。

bermeiさんが持っていたMSX「Sony HitBit HB-F1XV」

最初はカバーをやったりしましたか?

オリジナルにいきなり行きましたね。

おお! その頃どんな曲を作っていたか覚えていますか。

どうだったんでしょうね……ただ、「YMOが好きだからYMOみたいな曲を作ろう」とは思わなかったですね。FM音源みたいなしょぼい(笑)音で鳴っている曲……ゲームの曲とかですよね。そういうのを聴いた時に感じるものと、自分の手元のFM音源とがマッチしてるということで、そっちに引っ張られた曲を作っていたかもしれないです。

やっぱり鳴ってる音がどういうものか、自分のツールがどういうものかってところで無意識に参照するというか、当時も同じことを思ったんだろうなと。

先ほどの「常に全体で考える」という話にも通じますね。DTMで曲を本格的に作られたのは高校生の時くらいからですか。

そうですね。小学生の時はMSXだったんですけど、中学1年生の時には親の手伝いをしたりでお金を貯めてPC-9801を手に入れて。少しずつグレードアップしていきましたね。

MSX音源からPC-9801とヤマハのPORTATONE、パソコンに挿すカード音源とか、PCM音源とかになっていって。あとはローランドのSC-88Proとか、高校の時はDTM環境を拡張していって、ハードディスクレコーダーも買ってみたりとか。

自分の作品を初めて発表されたのはいつですか?

「コンピュータ・ミュージック・マガジン」とか「MSX・FAN」っていう雑誌があって、小学校6年の頃から読んでたんですよ。そこに自分で作った曲を投稿するコーナーがあったんですよね。投稿って言ってもフロッピーディスクにデータを入れて郵送で送るとかの時代ですけど。

へえ! 時代を感じますね。

雑誌にはFDやCD-ROMが付いてるので、投稿して採用されて収録されるっていう流れでした。当時中学生でそのコーナーに載っている人は周りにほとんどいなかったので、自分の中でちょっとこう、イキるじゃないですけど(笑)、手応えを感じていたような記憶がありますね。

音楽で食べていこうと思い始めていた時期ですね。

中学を卒業する時には音楽で食って行けるぐらいの実力が欲しい、っていう目標を一応持ちながら、毎日毎日曲を作ったりしてました。友達の遊びの誘いとかも全部断って、家にさっさと帰って作るみたいな感じでしたね。

今でこそ14歳のEDMプロデューサーがいたりとかしますけども、bermeiさんは当時から同じ思いだったと。

いや、今時は、世界のシーンが見えている中で曲を作れるじゃないですか。あの頃は全然そういう感じじゃなかったんですよね。自分の曲を発表することが、世界に向けた発表だなんて全然思わないですよ。インターネットとかもなかったですし。単に自分の中で楽しくて作ってるっていう感じでした。

今はやっぱり入ってくる情報量も全然違うし、何よりツールが違うので。本当に出来合いの音源や素材がたくさんあって、それっぽいものは簡単に作れちゃう。

昔はアマチュアのDTM機材じゃ音色ひとつでただ鳴らす、みたいな世界だったんで、どうやったらブレイクビーツの感じになるのかとかも全然わからなかったですよ。ブレイクビーツを聴いて、自分なりに自主研究って感じで学校の夏休みの宿題としてやっていた記憶があります(笑)。

ブレイクビーツで例えると、4拍目のスネアの前に裏8分で入ってるオープン・ハイハットの「ツー」の音が、普通ハイハットを叩いたら減衰するのに、逆に叩いた後に音量が上がるんですよね、スネアが鳴る直前に。

今では、コンプで叩いてリリースが持ち上がるからそれがグルーヴを生んでかっこいいんだなとわかるんだけど、中学生だからそんな原理は知らなくて、「ここの16分で一瞬音量が上がるのが気持ちいいんだな」なんていう風に考えていました。

今はあらゆるエフェクトが最初から使えるし、何ならそういう「あのプロデューサーの音」みたいな素材集が売ってて、それを使って作ったりする。だから全然考えなくていいと思うんですけど、昔はそういう音の要素から理解しなきゃいけなかったですね。

あまり深く考えなくてもどんどん情報が入ってくる。それはいいことだと思いますか?

結果は出しやすいでしょうね。自分の場合は細かい分析をしてきて、だからこそできることも勿論あると思いますけど、そこは割と自己満足なんで。(研究しているかどうかは)いい作品を作ることとは、別に関係ない気がします。

インタビューの最後に、こんな姿勢で作曲を続けてきて良かったなと思うこと、また今のクリエイターに向けて、こういう姿勢で音楽を作っていくといいのでは、といったアドバイスなどをいただけますでしょうか。

今は本当に作曲活動をしやすい環境だろうなって思うんですよね。それこそ昔はプロっていえば、レーベルに所属するとかメジャーデビューとかがメインだったと思うんですけど、今は個人で配信できる環境が整っているっていう意味でも。

「自分で何でもできる」と思ってやっていいんじゃないですかね。レーベルなどに頼らなければ世の中に出ていけない、という世界ではもはやないので、本当に自分のエゴ丸出しで活動して、その作品を世に出すっていうことを続けていけばいい。実際もうそうなってると思いますが、皆がそういう風に音楽を作っていけば世の中の音楽シーンが多彩に、素敵になっていくんじゃないかなと思います。

ありがとうございました!

bermei.inazawaさんの愛猫

■ bermei inazawa
1979.7.18 横浜生まれ。同人レーベル「Campanella」を主宰しオリジナル作品をリリース、リスナーから“同人音楽界の鬼才”と言われる。自身の作品の他、他アーティストへの楽曲提供や、アニメ・タイアップ曲なども手掛ける。
(提供アーティスト:やなぎなぎ、ぼくのりりっくのぼうよみ、悠木碧、Annabel、茶太、 etc.)
Official website https://www.studio-campanella.com
Twitter https://twitter.com/bermei_inazawa