
ディスコ・ミュージックがポップスの長さを2倍にした!?(世界に学ぶ! Vol.8)
Netflixでオンエアされている人気ドキュメンタリー『世界の“今”をダイジェスト』。この番組をプロデュースしている米国のニュース解説メディア「Vox」のYouTubeチャンネルでは、音楽関連の話題も取り上げられています。
「世界に学ぶ!」シリーズでは、Vol.5に続き「Vox」のドキュメンタリーをフィーチャー。今回取り上げる動画では、ディスコ・ミュージックとヒットチャートの関係と、偶然発見された“12インチ・シングル”というフォーマットについて解説しています。
ディスコ・ミュージックの持つ高揚感に浸りつつお楽しみください!
ドナ・サマー「I Feel Love」
1977年にリリースされた「I Feel Love」は、ドナ・サマーとジョルジオ・モロダ―によるディスコ・アンセム。エレクトロニック・ダンス・ミュージックの始まりを告げるに相応しい曲です。
この曲はほぼ全編がシンセサイザーで構成されており、ディレイが効いたベースライン、4つ打ちのグルーヴ、そしてドナ・サマーのヴォーカル、そして反復的に繰り返されるこれらの要素が、曲に催眠術的なテイストを持たせています。
この曲のオリジナル・ヴァージョンは、当時新たに発明された“12インチ・シングル”というフォーマットがなければ、日の目を浴びることはなかったでしょう。
1970年代初頭までは、“7インチ・シングル”がポップ・ミュージックを支配していました。このフォーマットはジュークボックス、ティーン向けレコードプレーヤー、そして(当時最も重要なメディアだった)ラジオで使われていました。
(“7インチ・シングル”は)小さくて安くて耐久性があり、良い音で録音した場合、45回転で回すと片面3分半くらいが収まる大きさです。フォーマットの制約もあり、1950年代から60年代にかけてチャート1位を獲得したヒット曲の平均的な長さは約2.5分~3.5分でした。
クラブで求められた全く違う音楽体験
一方、クラブでは全く違う音楽体験が求められていました。DJがオーディエンスを踊らせ続けるためには、できるだけ長い楽曲、あるいはできるだけ長くスムーズに異なる音楽をつなげる技術が必要とされたのです。
1970年代初頭のニューヨークでは、一握りの才能あるDJたちがダンスフロアを支配していました。その中の一人がニッキー・シアーノ。彼が経営していた「ギャラリー」というクラブは、70年代後半のすべてのクラブのテンプレートになっていきます。彼は、人々が踊り続けるための最高の曲とテクニックを見つけたのです。
ニッキー「ブラの『Cymande』という曲があるんだけど、そのレコードを何度も何度も繰り返しプレイして、ブレイク部分を何度も何度も聴かせたんだ」
ターンテーブルを2台、時に3台使ってブレイク部分のみを連続してプレイすることで、オーディエンスを延々と踊らせ続けることができたのです。
7インチ・シングルのフォーマット的制約
しかし7インチでプレイすると、曲が短い分、プレイしながら次にプレイする曲を考える時間がほとんどありません。そこで彼らは、より時間の長い曲を探すこととなります。
エディー・ケンドリックの「Girl You Need a Change of Mind」のLPは、ディスコ・レコードの最初の1枚と言われています。
ニッキー「あのレコードがかかると、ダンスフロアがパンパンになるんだ。ニューヨークのどこのクラブに行っても、ピークタイムにプレイされていたよ」
この曲のシングル・バージョンは6分以上の長さで、途中に2分間ほどのブレイク・セクションがあったため、7インチでは両面に渡り収録されており、曲が分割されていました。
7インチでは収録される曲が長いほど、レコードの溝が狭くなってしまうため、物理的に音が入るスペースが狭くなってしまいます。その溝が音のクオリティーを決めるので、溝が狭くなると、低音が少なく聴こえ、ダイナミックレンジも狭くなります。グルーヴもサウンドもつぶれてしまうのです。
そうした7インチ・シングルの制約が、「Girl You Need a Change of Mind」のクオリティーを悪化させてしまっていました。結局、DJたちはこの曲をLPでプレイしなければいけなかったのです。
DJがチャートを変化させた
ここで、DJがプレイする楽曲がユーザーのニーズを変化させ、一般層の目にも届くチャートの有り様を変化させたということについても触れておきましょう。
1973年、ニューヨークのクラブで爆発的な人気を得ていた曲が、ビルボード・チャートに飛び火します。
マヌ・ディバンゴの「Soul Makossa」が、ニューヨークのクラブでヘビー・プレイされたことによって、アトランティック・レコードがシングルとして再リリースを決定し、結果ビルボード・チャートにチャート・インしたのです。
バリー・ホワイトの「Love’s Theme」も同様です。この曲は珍しくインスト曲として1位を記録しました。
ニッキー「(これらの楽曲は)僕らが最初にヘビーにプレイした。ラジオで流れる前にヒットチャートを作っていたようなものだね」
1974年のビルボードの記事では、DJが音楽業界にどれだけの影響力を持っていたかについて言及されています。その記事には、レコード会社がニューヨークのクラブのために曲を長めにエディットし再ミックスしていることが書かれています。エディットするためにDJをスタジオに連れてくるということもあったようです。
偶然発見された“12インチ・シングル”
クラブに集まるオーディエンスやDJはもちろん、一般のリスナーにもより長い曲が求められている。しかし長めにエディットすると、両面に分けて収録しなければならなかったり、片面に音源を入れたとしても、音質が犠牲になる。音楽的なニーズと販売フォーマットの間に、ジレンマがありました。
そんな中、ほぼ偶然に、ひとりのディスコ・プロデューサーが解決策を思いつきます。それこそが“12インチ・シングル”です。
ディスコ・プロデューサーのトム・モールトンは、自分が作ったリミックスを使い捨ての7インチにカッティングして音のチェックをしていました。ある日、プレスできる7インチがなかったので、アルバム用の12インチにカッティングしてみたところ、レコードの音が劇的に変わることを発見しました。
溝の間隔が広がったので、よりパワフルなサウンドを得ることができ、生き生きとした音が生まれたのです。
ニッキー「革命的だったね、ワオって感じだった。曲をかけてる間にトイレにも行けるし、ドラッグもできるしね(笑)」
その後クラブでは12インチ・シングルでプレイすることが主流となります。
一般的なリスナーに向けて12インチでリリースすることがコスト的に見合うのかという議論もありました。ですが初めて商業リリースされた12インチ・シングル、ダブル・エクスポージャー「Ten Percent」のヒットが、このフォーマットが商業的にも使えることを証明したのです。
クラブで12インチに合わせて踊るのが好きな人たちは、そのバージョンを買えるようにしてほしかったわけです。
12インチのプロモ―ション的価値、そして創造性
「I Feel Love」は元々7インチ・シングルのB面だった曲です。その後様々な形でリリースされていましたが、最終的には12インチ・シングルのバージョンが最も象徴的な形となりました。このバージョンが、サウンドや曲調の面でもポップ・ミュージックの概念を更新し、その影響は今日まで続いています。
12インチ・シングルは1980年代にほぼ全てのジャンルで使われるようになりました。プロモーション的にも、7インチと12インチのバージョンをリリースすることで、より長い間曲をチャートインさせられるメリットがありました。
レコード会社は、12インチによって多くのレコードを売ることができ、また曲の認知度をキープできるようにもなるので、このフォーマットを気に入っていたわけです
しかしそれ以上に重要なのは、このフォーマットによってポップ・ミュージックのクリエイターがさらに自由に音楽を作れるようになったことです。これまでは長すぎると却下されていたであろう楽曲が、商業的に成り立つということになったのですから。
1983年に発売されたニュー・オーダーの「Blue Monday」は、最も商業的に成功した12インチ・シングルです。この曲は、7インチでリリースされた後に長めに編集されて12インチでリリースされたのではなく、12インチに収録されたバージョンがオリジナル・バージョンです。
1970年から1980年代にかけて、1位を獲得するポップス曲の平均の長さは2倍近くになりました。当然、それまでには盛り込めなかったアイデアも盛り込めるようになったでしょう。
新たなフォーマットの普及とクリエイターの創造性は、大きく関係していると言えるのです。
<編集後記>
ストリーミング時代においてポップ・ミュージックの長さが短くなっていると言われていますが、ポップ・ミュージックとフォーマットの連動は、今に始まったことではないことがわかります。12インチから新しいポップ・ミュージックが生まれていったように、ストリーミングならではのポップ・ミュージックが今後生まれていくのでしょうね。
文:岩永裕史(Soundmain編集部)