プロデューサー/DJのQrionさん
2020.03.31

「家族のような関係がある」Qrionが語る、異国の地における“つながり”がもたらすもの(インタビュー後編)

世界を舞台に活躍中の日本人プロデューサー/DJ・Qrion。現在はサンフランシスコを拠点に、Mad Decent、Moving Castle、Anjunadeepなどのレーベルからリリースを続ける傍ら、DJとしてTomorrowlandやEDC Mexicoのステージに立つなど、まさにダンスミュージック・シーンの最前線を走り続けています。

プロデューサー/DJのQrionさん
Group Therapy Weekender @ The Gorge

DJの現場で受ける刺激や、クリエイティビティの保ち方を中心に伺った前編に続き、後編では楽曲制作におけるレーベルとのやり取りや、現在お住まいのサンフランシスコという街で得られる横のつながりなど、周囲との関わりを軸にお話を伺いました。

前編はこちら:

リサーチから制作、リリースに至るまで

今のプログレッシブ・ハウス寄りの方向性に変わっていったのには、どういったきっかけがあったのでしょうか。

Anjunaのイベントに出る回数が増えたことがキッカケですね。DJで自分の曲もプレイするんですけど、Anjuna系の人たちの中でDJすると、プレイする曲も結構プログレッシブな感じになってきて、自分の興味も自然とそっち寄りになっていきました。

あとはメロディック・テクノとかメロディック・ハウスとか、ちょっとアンビエントな雰囲気があるけどキックが強かったりとか、元々自分が興味を持っていたサウンドとも被せながらやっています。

アメリカのシーン全体として、プログレッシブ・ハウスとかメロディック・テクノは流行っていると思いますか。

どうなんでしょうね……テックハウス系のDirtybirdとかShiba Sanとかは元々流行っていて、あとは最近テクノがまた流行りになっていますね。

彼のようにTOP40にいるようなDJも、レイヴの曲を作ったりテクノを取り入れたりしていて、そこから流行ってきてる感じですね。

なるほど。そういった新しい音楽をチェックする時、どういったサービスを利用しているんでしょうか。

最近はBeatportでチャートを見るようになりました。あとはインスタグラムのアカウントで、テクノのクラブイベントのビデオを投稿してるアカウントがあったりするんですけど、そこでお客さんの盛り上がってる動画を見て、気になる曲をディグったりしています。

その上で、今後作ってみたい曲があれば教えてください。

今まで歌がない曲が多かったので、ボーカルの人とかを使って曲を作ったりとか。あとは他のアーティストとコラボして、共作を自分の作品に入れたりしたいなと思っていますね。

他のアーティストと一緒に曲作りをするときは、スタジオに入って作ったりもするんでしょうか。

ネット経由が多いですね。Dropboxに自分が作ったメロディーとかデータを書き出して入れて共有したりして。なかなかCubaseを使ってる人がいないので、WAVでやり取りしています。

マスタリングもご自身でされているんですか?

マスタリングはAnjunaの専属のエンジニアさんにお願いしています。みんなイギリスに住んでるので、こっちが朝だと向こうはもう夜中になってたりとかで 、この間は「このハイハット1個だけ直して欲しい」っていうやり取りに2日かかったりして大変でした(笑)。

アートワークも専属のデザイナーとやり取りしているんでしょうか。

そうですね。「統一感のためにAnjunaのロゴだけになるけど、色のイメージや、リリースした曲のビジョンがあったら写真で送って欲しい」と言われたので、雪の写真とか札幌雪祭りの写真とかを送って、ブルーの配色にしてもらいました。

ちなみにレーベル経由の作品以外のご自身のリリースは、ディストリビューターを使って自分でリリースしているのでしょうか。

今、シンフォニックっていう音楽出版社兼ディストリビューターと契約していて、セルフリリース曲はここにお願いしてます。

レーベルや街の持つコミュニティ性

以前、イギリスで活動中のMakotoさんにお話を伺ったときに、「レーベルのスタッフからサウンド面について凄く色々と指摘された」とおっしゃっていました。Qrionさんもレーベルの人から「こうしたほうがいいよ」といったアドバイスを受けることはありますか?

ありますね。Anjuna系はダンスミュージックのレーベルなので、DJでプレイしてもらうのがメインのコンセプトになってくると思うんですけど、私は元々DJから始めた訳じゃないので、曲の構成とかがあまりDJ向けじゃないことが多くて。

A&Rの人が「ここからここはキック入れた方がいいよ」とか「ここはメロディを抜いたほうがいいよ」とか、そういうDJ面でのアドバイスをくれるので、反映して直したりしています。

1回リミックスを頼まれたことがあって、必死に作って提出したんですけど、「ミックスとかEQとかが全然出来てないから駄目」って言われて全部ボツになったことがあって。その時は凄い悲しかったんですけど、でも世界クラスのレーベルの人の意見だから、都度学んで頑張ろうと思っています。

Anjunaについて、以前のインタビューで「家族のような感じがある」とおっしゃっていましたが、コミュニティ感が強い特徴があるんでしょうか。

そうですね。来てるお客さんも、レーベルから新しいアーティストが出てきたら必ずちゃんとイベントに行ったり。

中にはクラブに行く前に「Anjunaの会」みたいのをやってる人たちもいるみたいで。クラブシーンにそういうオフ会みたいなのって、あんまりないですよね。

あとはシカゴであれば【Anjuna Family Chicago】みたいな、その土地の名前がついたロゴの入ったブレスレットを作って配っている人がいたり。なかなか他のクラブシーンにはない感じのレーベルですね。

Anjunaファンの人達によるリストバンド
Anjunaファンの人達によるリストバンド

サウンド面でも専属のマスタリング・エンジニアがいたり、アートワークも統一感がありますし、レーベルとしてのブランディングがされていますよね。

そうですね。私は行けなかったんですけど、イギリスの本社も凄く大きい会社みたいで。スタジオはもちろん、会社の中に大きなキッチンがあったり、撮影スペースやDJブースもあるみたいです。会社の社員の人たちもみんな仲が良くて、まさに家族みたいな感じなんでしょうね。

しかし、どうやってそういったコミュニティが作られたんでしょうね?

個人的な考えなんですけど、元々トランスのファンの人って、すごい心優しい人か多いような気がして(笑)。

わかります(笑)。純粋にトランスが好きな人が多いというか。

あとは(Anjunadeepを主宰する)Above & Beyondの3人が結構特化した人たちなので、コミュニティにいる人も、「彼らがやってるレーベルだから、他のアーティストもサポートしたい」ってなるのかもしれませんね。

サンフランシスコには同じレーベルのアーティストはいらっしゃるんでしょうか。

自分以外に2人いますね。その人たちにミックスのアドバイスを聞いたりとか、一緒に曲を作ったり、プラグインのことを教えてもらったりしています。

最近はXferの「LFOtool」というプラグインを教えてもらいました。プログレッシブ・ハウスを作るなら、これは必ず入れておいたほうがいいよ、と。自分は元々Cubaseの中に入ってるソフトウェアだけで作っていたので。

そういう横のつながりというか、クリエイター同士で情報交換する文化があるんでしょうか。

サンフランシスコという街の特徴だと思うんですけど、狭い街なのでみんな友達っていう感じがあって。家賃が高いのもあって、なかなかアーティストが住んでないんです。なので余計に絆が深まったり。

競争が激しいところに自分を置いて、色んな部分で刺激をもらって曲作りができる人もいると思うんですけど、サンフランシスコ組は喧嘩もしたくないし競争もしたくないから、みんなで仲良くやっていこうっていう人たちなんですよね(笑)。

「競争が激しくて人口も多い街は自分には合わないな」と思ったのも自分がサンフランシスコに引っ越した理由だったんですけど、レーベルメイトの2人も、他のサンフランシスコに住んでいるDJも同じで。居心地が良い生活のために、他よりも高いお金を払って暮してるんだな、と思います。

サンフランシスコにはテクノロジーの街というイメージもありますね。

そうですね。街の中もテック企業だらけで、この間も道をロボットが歩いてました。『攻殻機動隊』というアニメに出てくる“タチコマ”みたいな、卵型の大きい掃除ロボットみたいなのがいて(笑)。

あとはUber Eatsって日本にもあると思うんですけど、スーパーもAmazonと契約を結んでいて、色んなものが端末上で出来るようになってきています。

将来テクノロジーがもっと普及したら、人が街からいなくなるっていうのもない話ではないのかな、と思わされますね。

異国の地で音楽を続けていく覚悟

英語をまったく話せない状態で渡米されたとのことですが、Mixmagの動画取材などを拝見すると、かなり流暢に話されていますが、ここまで持っていくのは相当大変でしたか?

そうですね。最初に引っ越してきた1年間はもう本当に喋れなくて、レストランに行って注文する時も、まず料理に何が入ってるかもわからない感じでした。

サンフランシスコで最初に住んだ家にアメリカ人のルームメイトが3人いて、毎日必ず英語を使う環境だったのも大きかったです。それもあって日常会話が少しずつできるようになって、あとは空いてる時間に現地のテレビ番組とか、リアリティーショーみたいなのを見たりして、若い人が使ってるスラングとかも学んで。

日本でも有名な『サウスパーク』っていうアニメとか、カニエ・ウェストの奥さんが出てる『Keeping Up With The Kardashians』っていうカーダシアン一家のリアリティーショーとかをよく観ていました。

今では日本語を話すのは、母と電話する時ぐらいしかないですね(笑)。

お話を聞いていると、ご友人もそうですし、マネージメントやレーベルなど、周りのサポートを大切にしながら活動されているんだなと感じます。

確かに、1曲を出すのにもこれだけ多くの人が関わっているんだな、っていうのを感じる瞬間は多いです。

レーベルにデモを送るとレスポンスがありますし、「リリースしたい」って言えば「じゃあマーケティングの人から連絡が来るからね」って言われたり。

あと、まだリリースされてない曲をDJ用にプロモーション配信する会員制のウェブサイトがあるんですけど、そこで他のDJやアーティストが自分の未発表曲を聴いてくれてたりしていて。その人たちと現場で会ったときに「この間デモ聴いたけど、良かったよ」なんて言われると、改めて「ああ、色んな人が関わってくれてるんだな」と思います。

こういう部分を見ると、その人たちの為に曲作ってる訳ではないけど、家族のように皆で協力して頑張ろうって思いますね。

日本を飛び出したときには思い切りよく行かれたと思うんですけど、その後は不安なこともあったんじゃないかと思うんですが、そういった不安を乗り越えていく心構えをお聞かせいただきたいです。

そうですね……元々札幌で高校を卒業して就職していたんですけど、自分は勉強も得意じゃないし、資格とかも持ってないし、音楽以外の技術がないということはずっと思っていて。だから多分、本当に音楽に集中してやっていくしかないっていう心構えがあるんだと思います。

アメリカに来た最初の頃、ロサンゼルスに引っ越すのが決まってたんですけど、急にキャンセルになったことがあったんですよ。「本当は空く予定だった部屋の持ち主が、やっぱりここに住みたいって言ってるから部屋が無くなりました」っていう知らせを、ロサンゼルスに向かう飛行機に乗るために空港に向かってる最中に言われて。

とりあえずロサンゼルスに行って友達の家に居候してたんですけど、何とか見つけた次の家もあまり良くない所で、文化の違いもあるし英語が喋れないのもあって、1日目で友達と凄い大ゲンカをしたりして。

そういう辛いことはあったんですけど、それで日本に戻ったら絶対アメリカに戻ってこないような気がして。今でももし、本当に辛くなって「DJとかやめます」とか言って日本に帰ったら、同じような位置には戻れないと思うので、何とか気合で頑張ろうと思ってます。

不退転の覚悟があるということですね。本日はありがとうございました!

取材・文:岩永裕史(Soundmain編集部)