エクリヲ vol.11
2019.12.13

批評誌『エクリヲ vol.11』を読んで考える、テクノロジーと表現の関係

11月24日、「第二十九回文学フリマ東京」に行ってきました。同人音楽の即売会「M3」も行われる東京流通センターで、半年に一回開催されるこのイベント。今回注目していたのがミュージックヴィデオ特集を敢行した同人誌『エクリヲ』です。11号を数えるという同誌は、今号よりデザイン面の大幅なリニューアルを実施。編集長の佐久間氏いわく、7つもの風合いの異なる紙を用途に合わせて使用したという本書は、「同人誌」のイメージを覆すモノとしてのリッチさに溢れています。

エクリヲ vol.11
『エクリヲ vol.11』外観

批評誌を謳う本書には、映画や美術を研究するアカデミックな書き手の文章が並びます。と言うと難しい印象を持たれるかもしれませんが、彼らのような「別の」歴史――映画なら映画の、美術なら美術の――を参照することのできる書き手ほど、ミュージックヴィデオという対象に切り込んでいくのには相応しいと言えるかもしれません。というのも、編集部による巻頭言で述べられている通り、ミュージックヴィデオとはPV(プロモーションヴィデオ)とも言われるようにその時々の広告的・経済的な要請にしたがって発展してきたため、統一的な歴史が編まれる機会に恵まれてこなかったという経緯があるからです。

聴覚文化論・映画学を専門とする長門洋平は、本書に収録されたテキストの中で次のように指摘しています。

「システマティックに構築されたものに対する場合、分析や批評のための足掛かりはある程度容易に得られる。〔…〕それに対し、個々の映像作家自身の内部に閉じた論理やセンスで作られる傾向にあるMVには、比較したり参照したりするべき方法論的な「中心」を見いだせないため、印象批評はできても理論的に語ることが難しい(事実、MVは「感性」で作るもの、と発言する制作者は多い)。」

あるMVが公開されたときに、話題の俳優が起用されているとか、あるいは最新のテクノロジーが使われているとか、そういったことが話題になりがちなのには、こうした「言葉(文法)の蓄積」がないからだということも言えるのです。

さらに、そもそもミュージックヴィデオにおける「映像と音楽の融合」ということにも、果たしてそれは必要なのか?とい疑問があり得ます。

視聴覚芸術研究を専門とする荒川徹は、自身のテキストを以下のように始めています。

「ミュージックヴィデオという芸術の領域を考えるにあたって、「音楽と映像の協調」といったポジティブな観点から始めることは、〔…〕ある種の絶望を欠いているようにみえる。「絶望」とはつまり、表現としてそれ自体が完成された音楽に、重ねて映像をつけるのは邪魔であり、あるいは反対に、注視に値する映像は、あえて音楽を必要としていないということだ。」

また荒川は現在の、携帯デバイスと動画サイトの普及により、ミュージックヴィデオに触れる機会が爆発的に多くなった時代を指して「われわれは視覚も聴覚も鈍感であることを求められ、その代わりに日常的な「音楽と映像の協調」に曝されている」と表現。テクノロジーの進化による新しい表現フォーマットの誕生を謳い上げるかのような「音楽と映像の協調」という文句の裏には、低音質・低画質の音楽や映像を体験することに馴れさせられているという側面があるのではないか、と。

もちろん現状をただネガティブに捉えるのでなく、こうした現状把握を出発点とした上で、優れたミュージックヴィデオ作品の詳細に分け入っていきます。(荒川はDAOKO「終わらない世界で」ほか3本のMVを、長門は宇多田ヒカル「Goodbye Happiness」のMVを、それぞれ詳細に分析しています)

DAOKO「終わらない世界で」MV(監督:山戸結希)
宇多田ヒカル「Goodbye Happiness」MV(監督:宇多田ヒカル)

他ジャンルの歴史を横に置くことでそれを物差しとし、改めて「ミュージックヴィデオ史」を紡ぐことはできないか。各テキストは、多かれ少なかれそのような意識を共有しているように思えます。

また、実作者へのインタビューを収録しているのも重要なポイントです。インタビュイーは山田健人。バンドyayhelのメンバーとしては自ら楽曲制作、ライブでの楽器パフォーマンスにも携わりつつ映像制作・VJも担当し、映像ディレクターとしては宇多田ヒカルや米津玄師、嵐に至るまで様々なアーティストのミュージックヴィデオを手がける気鋭のクリエイターです。

山田健人のインタビュー
山田健人 インタビューページ扉

学生の頃にはプログラミングも嗜んでいたという彼は、最新のテクロジーへの深い見識を伺わせた上で、次のように語ります。

「感覚的にいえば、一受け手として僕はあまりデジタルなものにワクワクしないんですよね。というのは技術革新はつねに起き続けているので、一瞬で塗り替えられていくものだから。〔…〕たとえばすごく巨大なプロジェクション・マッピングには瞬間的な感動はあると思うんです。〔…〕ただ、そのやり方が一般化する時代もすぐに来る。それよりも技術を何のために使うのか、について考えたい」

yahyel「TAO」MV(監督:山田健人)

ミュージックヴィデオは音楽の宣材であると同時に、そこに使われているテクノロジー自体のプロモーション映像という側面も持ちます(機材の提供を受け、メーカーとのコラボの名目でスポンサードされたミュージックヴィデオには枚挙に暇がないでしょう)。

「どんな技術を使いたいか」ではなく「何を表現したいか」を第一に考える山田の姿勢は、作品を鑑賞する私たちにとっても、その感動を言語化するためにどのような言葉を用いればよいのか、改めて考えさせてくれるものです。

Soundmain Blogでも音楽にまつわる様々な技術について紹介しています。私たちも新しい技術を紹介する際、作品と、それを生み出してきたミュージシャンたちの歴史に敬意を払った上で、「(技術が)誰のために、どのように役立つのか」という視点を第一に紹介していきたいと、改めて思いました。

■ 書誌情報
『エクリヲ vol.11』
価格: 2100円(税別)
購入ページ(BOOTH

文:Soundmain編集部

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