2023.07.20

AI・SNS時代の音楽との関わり方とは? Soundmain Blogラスト対談

公式からアナウンスが出ました通り、Soundmainは2023年11月30日に、当ブログを含む全サービスの提供を終了いたします。これまでのご愛顧、誠にありがとうございました。

AIやブロックチェーンなどの先端テクノロジーを活かして、音楽を作る人/これから作り始めたい人を支援するサービスとして開発・運営を続けてきたSoundmainに紐づく当ブログでは、テクノロジーの発展により変化する音楽制作のプロセスや作り手の活動スタンスについて、海外事例の紹介やインタビューを交え、さまざまな記事を公開してきました。

ブログの更新終了にあたり、中でも多くの記事を手がけていただいたライターのJun FukunagaさんとSoundmain Blog編集担当・関取が、これまで公開してきた記事を振り返りつつ、今後の音楽制作×テクノロジー領域を展望する対談を公開します。

音楽とテクノロジーの関係は、蓄音機の発明以来密接なもの。これからもその重なり合う領域で、新たなスタンダードが生まれては消えを繰り返していくことでしょう。当ブログにおける探求が、読者の皆さまそれぞれの中で続いていくことを願っています。

音楽を「楽しむ」手段の拡張がなされた

関取 Soundmain Blogではここ数年間にわたり、最新の制作機材などの音楽テクノロジーや業界動向、ユニークなプロモーション事例など、音楽を作る人たち・これから作りたい人たちに向けた情報を幅広く発信してきました。その間、音楽制作をめぐる状況はどのように変化してきたとFukunagaさんは思いますか?

Fukunaga 以前に80KIDZのJUNさんへのインタビューで、CDJの進化によって従来は難しかったDJのミキシングが簡単になったことで物足りなさを感じ、その反動として手動で操作する要素を持つモジュラーシンセを選ぶようになったという話がありましたね。

そのようにしてすでに制作をしていた人が複雑さを求めるようになった一方で、遊び感覚で扱えるOP-1などのガジェットシンセについても取り上げました。いずれにしても、より楽しく音楽を作れるようになったと思ってもらえることが、一番のポイントになると思いますね。

関取 ありがとうございます。そうした流れの中にSoundmainというサービスをどのように位置づけるか、またこのブログがどのような人に読まれるかを考えながら、私自身取り組んできた気がします。

この度のサービス終了に際して改めて考えたことですが、今はテクノロジーによって音楽を楽しむという体験が拡張されたため、音楽を作ることのハードルが下がったというより、そもそも「作る」という行為自体が、音楽を「楽しむ」という枠の中に収まるようになったのではないかと思うんです。サービスを提供する側としても、そういった変化に対応していく必要があるのではないかと。

Fukunaga TikTokの登場以降、人々の音楽に対するアプローチが変化しましたよね。以前は、音楽を「作る」か「聴く」かの二者択一のような状況でしたが、TikTokの台頭によって、一般ユーザーが既存の曲を使って自分が踊る動画を投稿し、プロップスを得るという現象が生まれました。さらに最近では、踊るだけではなく、音楽について解説する人物の出現や、既存の曲をスローダウンさせたりスピードアップさせたりするなど、音楽で遊ぶ方法も増えましたね。

関取 それまでは音楽を作りたいと思う人は、まずDAWなどの制作機材を手に入れる必要がありました。しかし音楽を「楽しむ」というだけなら、そういったツールを選ぶ必要性がそもそもあるのだろうかという疑問があるわけです。

Fukunaga 音楽を作ったことのない人に音楽を「作る」こと自体の「楽しさ」を知ってもらうためには、まずは曲の形ができる、ということが重要になるのかもしれません。音楽を生成することができるジェネレーティブAIの需要は、そういう意味でも今後高まってくると思いますね。

ただ、多くの人の間にAI生成楽曲が広がっていくかというと、現状ではまだ難しいと思うんですよ。例えばTikTokでは、そのプラットフォーム上で流行っている曲に合わせて踊ったりすることに意義がありますよね。単にAIで簡単にオリジナル楽曲を作れるようになったからといって、果たして誰も知らないAI生成楽曲を使う人が急増するかというと、それは難しいように思う。

たとえば有名なインフルエンサーがジェネレーティブAIで作った曲を使い始めた時に、「これをAIで作ったんですよ」ということを言い出せば、もしかするとそこで自前でオリジナルの楽曲を持つことの価値が伝わり、自分もそういったツールで作ってみたいと思う人がもっと増えてくることになるかもしれません。

「アーティスト」と「クリエイター」を分けてみる

関取 ジェネレーティブAIに関しては、人間の創作を脅かすものだという議論もよく耳にします。そうした議論の中には、「AI」というものを「人間」と対立する、一種の人格とみなす前提がある。AIの処理能力は人間に比べて非常に高く、大量の音楽を作り出すことができるため、人間を脅かす存在となるのだと。AIと著作権の議論というのも、個人が積み重ねてきた経験や努力がAIに瞬時に盗まれてしまうことになるという懸念から発していると思います。

でも、これはインタビューも実施したQosmo・徳井直生さんの「AIジョッキー」的パフォーマンスを観た経験も大きいのですが、自分はAIを川や大気のような、常に身の回りを流れ続けている存在として捉えたほうがいいのではないかと思っているんです。先ほどのインフルエンサーの話でいえば、「自然っていいよね」というエコ活動家みたいな存在が必要ということですね(笑)。

そうなったときに、「作る」という行為がどのように捉えられるようになっていくのかに関心があります。YouTuberやTikTokerなどのインフルエンサーも「クリエイター」と呼ばれるようになった時代、長い時間をかけて準備や実際の作業を行う作り手たちに、どのような形で社会的な地位が認められるのだろうかと。

Fukunaga 僕の考えでは、そもそも「クリエイター」という言葉の捉え方や位置づけが大きく変わってきていると思います。日本では、「クリエイター」と「アーティスト」がしばしばひとまとめにされる傾向がありますが、将来的には、ゼロベースから何かを作り上げる人々が「アーティスト」的な捉え方をされる一方で、「クリエイター」という言葉は、特定のフォーマットに基づいてコンテンツを作成する人、ルールや遊び方を考える人に関連付けられるようになるのではないかと思います。

この意味では、「TikTokクリエイター」や「YouTubeクリエイター」という言葉は、まさにその定義に当てはまると感じています。既存のフォーマットの中で遊び方のルールを考える人と、ゼロベースで何かを考える人の扱い方は、今後ますます枝分かれしていくのではないかと思いますね。

関取 なるほど、その捉え方はわかりやすいですね。

Fukunaga これまで「音楽クリエイター」とひとまとめにされてきた人々の中でも、例えばTB-303を本来の想定からすれば「間違った」仕方で使うことでアシッドハウスを生み出したような人は、おそらく「アーティスト」と見なされる存在であり、一方でEDMなどある程度フォーマットが決まった中で自分の音楽を作っていく人は「クリエイター」と区別できるかもしれません。

関取 音楽のジャンル概念というのは非常に複雑ですが、それを聞くと根本的に新しいジャンルを生み出すのは「クリエイター」ではなく「アーティスト」、ということになりそうですね。

Fukunaga そうですね。やはり新しい何かが生まれるという点で「アーティスト」のクリエイティビティは不可欠だと思います。一方で、iPhoneで写真を撮り、Instagramに投稿する行為は、多くの人々が日常的に行っていることですが、このような行為が普及した理由は、iPhoneが写真を簡単に撮影でき、かつ公開できるようになったからです。

以前は写真を撮るためにはカメラが必要であり、撮った写真をパソコンに取り込んでウェブサイトやSNSに投稿していましたが、今ではスマートフォンだけで全てが完結できるようになりました。使いやすい機器やツールが普及することで、新しいテクノロジーがどんどん日常的なものになっていくことは間違いないと思います。

ボタンひとつで音楽を作ることができるジェネレーティブAIにしても、簡単に何かが作れるという行為自体が広がることで、新たな音楽ジャンルが生まれる土台になるということがあるはずです。AIについては、「アーティスト」的な人も「クリエイター」的な人もそれぞれの方法で常に考えながら使っていく中で、新しい可能性が広がるのではないかと思っています。

AIと人間のクリエイエィビティは対立しない!

関取 AIツールに関しては音楽領域ではないですが、VTuberが非常に面白い使い方をしています。例えば、AIボイスチェンジャーの「RVC」を使って入れ替わりドッキリを行ったり。VTuberというフォーマットではリアルの人間が画面にいないため、こうしたことが容易にできます。モーションキャプチャやフェイストラッキングといったテクノロジーがVTuberという新しいエンタメジャンルを生み、そこで活動するVTuber本人=「クリエイター」がAIツールの楽しみ方を拡張している、ということですね。

音楽の話に戻すと、ジェネレーティブAIが「アーティスト」の地位を脅かしているとされているのは、実際には「クリエイター」の範囲の見解に過ぎないように感じますね。

Fukunaga それはありますよね。AI作曲プラットフォームのBoomy(編注:Soundmain BlogではCEOへのインタビューも実施した)で作られた曲を聴いていると、たまに良いなと思うものもありますが、それ自体が自然に広がることはないだろうなと思います。最近もtofubeatsさんが「いい曲だなと思ったらBoomyで生成されたAI楽曲だった」という旨の発言をしていましたが、こうした例にしても影響力のある人の声を通じて初めてその「良さ」が世間に認知されたということなので、結局のところ、どこかで人間の関与が必要ですよね。

関取 ジェネレーティブAIによって作られた音楽を面白いと感じる作り手が現れることも、そのような音楽が広まる上で重要ですよね。トンチじみた言い方になりますが、「AIが作ったものでさえも良い曲と感じる人間の感性こそが素晴らしい」と考えることができれば、心情レベルでの不要な対立はなくなっていくはずです。

Fukunaga AIに関してSoundmain Blogでの取材を通して感じたのは、法律や倫理の問題は避けて通ることができないということ。一方で、最終的にはAIをどのような存在として捉えるか、つまり使い手のAI観の違いによって活用の可能性が大きく変わるということも感じました。

AIに学習をさせる場合、その学習ソース自体が著作権を侵害する可能性が取り沙汰されています。また、音声に関しては実在するシンガーの声を無断で学習させることが問題視され、それがシンガーの仕事を奪うことにつながるという懸念があります。

需要があるかどうかは別として、例えば、著作権を侵害しないフリー素材のような汎用的なものだけをAIに学習させるようにしていけば、AIから生まれてくる音楽もそのようなものに限られていく気がします。こういった形で人間がAIの学習に対してある程度の規制を設けることで、AIの進化に対してもコントロールできる要素があるのではないかと思うことがありますね。

関取 逆のアプローチとして、ミュージシャンやシンガーの側が自分の音楽をAIの学習対象から外してもらう意思を示すという方法(オプトアウト方式)も考えられますよね。例えばAIに自分のカタログ全体ではなく、特定の曲のみ学習を許可する仕組みを作るといったことができるようになると良いなと思います。

Fukunaga 最近、Audiusがそのような仕組みを導入していましたね。そうした仕組みが整っていくことで、将来的には自分の曲をオフィシャルサウンドパックのようにAIの学習ソースとして提供する人が出てくるかもしれませんし、それを著作権管理しながらビジネスにしていくケースも考えられます。

ですから、ミュージシャンやレーベルにとってAIに無断で学習されることは確かに問題ですが、権利者側もある程度の予測と対策を考えながら進めていくことで新たなビジネスチャンスを掴むことができるとも思います。そういった方法を模索していくことにも、人間のクリエイティビティが求められていると思いますね。

作り手のための多様なロールモデルを

関取 これから音楽に関わろうとする人は、自分が「アーティスト」タイプと「クリエイター」タイプのどちらになりたいかを認識し、それに基づいて活動することが重要なのではないかと感じています。この点についてどう思いますか?

Fukunaga その判断は難しいですね。先ほどの区別で「アーティスト」タイプと「クリエイター」タイプの境界が明確になりましたが、初めて音楽制作を始める時には、多くの人がまずはゼロから何かを作りたいと思うのではないでしょうか。それで経験を積むうちに、「こういう曲が好きなので、こういうフォーマットで作りたい」という考えが出てくる人もいると思うので、実際にやってみないと、自分の適性や傾向はわからない気がします。

関取 これは本当に個人的な問題意識になりますが、現在はSNSの普及により、「注目される」ということが評価の基準となりすぎていると感じています。「アーティスト」タイプですごく尖った表現をしている人でも、SNSでアテンションを集めることさえできれば評価される可能性がある時代だとも言えますが、実際には「クリエイター」タイプの人のほうが多くのアテンションを獲得しやすい傾向がありますよね。そのせいで潜在的に「アーティスト」タイプな人のモチベーションが下がりやすい環境ができてしまっているのではないかと思うんです。

Fukunaga そういう意味では、現在は音楽を作る人にとって、単に作品を制作するだけでは成功するのが難しい時代になったとは思います。自分の音楽を広めていく手段も含めてキャリアパスを描ける人でなければ、世の中に知ってもらえるチャンスを掴むことが難しい。特に今は世界中で毎週膨大な数の曲がリリースされているし、それにアクセスできる環境も整っています。だからこそ、「自分は素晴らしい曲を作っている」という主張だけでは通用しないと思います。

関取 そうですね。ただ、成功を収めるために作る楽曲をバズりやすいフォーマットに寄せる必要もないということも強調したいところです。この点で、以前Soundmain Blogでもインタビューした、ボカロPのきくおさんの活動スタンスは参考になると思います。

きくおさんの音楽性自体はメインストリームのボカロ楽曲と比べてかなりオルタナティブなものと言って良いものと思いますが、活動初期からBandcampやSoundCloudなどのDIYミュージシャン向けプラットフォームを活用しつつ、濃いファンベースを形成してきました。TikTokでグローバルに楽曲がバズって以降も複数のプラットフォームで配信リリースを行うことを継続していて、最近ではpixivFANBOXで有料会員に向けて自身の制作工程を公開するなど、さらにファンの熱量を高めていくための活動も行っています。

きくおさん自身は「人付き合いも苦手で、自分には音楽しかできない」といった旨のことを仰っていましたが、こういった(直接的な作曲以外の)細かいことをこなすのが得意なタイプでもあります。このように、これまで「アーティスト」タイプを指す形容として定型的だった「音楽しかできない」ということの内実も、今はより細分化していると感じます。こうしたロールモデルが増えていくことに期待したいですし、メディアの役割はこのようなロールモデルを世に示していくことだとも感じています。

Fukunaga Soundmain BlogでもWurtSさんのInstagramを使ったファンとのコミュニケーションや、The ChainsmokersのNFTを活用したコミュニティビルディングなど、いろいろな事例を紹介してきましたね。

関取 そうですね。他にもビートメイカーのCRAMさんがBandcampのコミュニティ機能を使ってビートメイカー向けの教育プログラムを行っている事例を、ご本人へのインタビューを交えて紹介しました。「アーティスト」による自分のスキルの「クリエイター」的な活用の仕方と言えますね。

Fukunaga これからのクリエイティブな活動には、自分自身のプロダクトを作り上げるだけでなく、既存のフォーマットやツールを活用して新たな展開や可能性を模索することも含まれるという話ですね。

関取 「アーティスト」と「クリエイター」をいったんは対立項として設定しましたが、実際には縦軸と横軸、マトリクスで捉えるべきなんですよね。AIのような新しいテクノロジーの出現やSNS環境の更新に応じて、より自分の持っているスキルや特性を活かせるように都度マトリクス上の位置取りを変えていける柔軟性が、変化の激しいこの時代においては重要なのだろうと思います。