2023.05.19

NICKELMAN インタビュー 「気持ち良さ」にこだわるビートメイクと、アナログ/フィジカル媒体でリリースする必然性

SpotifyやApple Musicといったサブスクリプション型ストリーミングサービスの浸透以降、リスナー数が急成長したインストヒップホップ。ここ日本でも活気溢れるシーンが形成され、その中から国境を越えて大きな支持を集めるビートメイカーも増加してきている。この連載では、そんなインストヒップホップを制作する国内ビートメイカーに話を聞き、制作で大切にしている考え方やテクニックなどを探っていく。

第5回に登場するのはNICKELMAN。大阪を拠点にカナダやドイツなど海外レーベルから数多くの作品を発表するほか、自らのレーベル〈deepconstruction records(通称:DCR)〉からカセットやレコードのリリースを精力的に行っているビートメイカーだ。また、同郷のビートメイカー・FROGMANとのユニット「FREEMANZ PRODCUTION」でも活動。コンセプチュアルなアルバム作りや、メロウでありつつ「音の太さ」をキープするその作風は、国内外の多くのリスナーを唸らせている。今回はそんなNICKELMANに、大阪のヒップホップシーンやアナログの魅力、「PCを使わない」その制作方法などを聞いた。

ONENESS & FREEMANZ PRODUCTION – movingman

ヒップホップとの出会いはスケボーから

NICKELMANさんとヒップホップの最初の出会いはどういったものでしたか?

自分の家の近所にスケボーで滑れる長居公園という場所があって、「(スケボーって)クールだな」というイメージがあったんです。中1の時、スケボーをやっているクラスの友達から誘われて自分でも始めたんですけど、その友達がサーファーのお兄ちゃんの影響でWu-Tang ClanのTシャツを着ていたんですよね。「なんなん、そのカラスのマークみたいなの。クールやな」って聞いたら、Wu-Tang Clanの名曲「C.R.E.A.M.」を教えてくれたんです。それで「渋っ! 本場のヒップホップってこんなんなんや」と思ったのが最初の出会いですね。ファッションとかも含めて、スケボーで知っていきました。

Wu-Tang Clan – C.R.E.A.M.

その頃はちょうどACOとZeebraと一緒にやっていたDragon Ashのシングル「Grateful Days」がメディアにもじわじわと出てきて、ちょうど日本でヒップホップが市民権を得てきていた時期だったんですよね。それで日本のヒップホップやR&Bを好きになりました。birdやTWIGY、SHAKKAZOMBIEあたりですね。当時アメ村にあったタワレコでCDを買ったり、友達とCDを貸し借りしたりして色々知っていきました。

最初はポップなヒップホップを聴いていたんですけど、友達がSPACE SHOWER TVをVHSに録画したのをみんなで観ているうちにBUDDHA BRANDとかLAMP EYEの「証言」とかを知って、どんどん深みにハマっていき……みたいな感じでしたね。

LAMP EYE – 証言

先にWu-Tang Clanに出会ってから、日本語ラップへみたいな流れだったんですね。

Wu-Tang Clanで「こういうのがヒップホップなんや」とわかりはしたんですけど、当時はそこまでディグの経験値がなかったので、すぐには海外のヒップホップを聴くようにはならなかったんですよね。やっぱりテレビで流れてくるZeebraとかの存在が大きくて、中学生の時はジャパニーズヒップホップをメインに聴いていました。

海外のヒップホップは、高校生くらいになった時に、DJの先輩から借りたミックステープで知りました。DJ PremierとGang Starr、A Tribe Called Quest、Pete Rock、Nasとかの東海岸のヒップホップが多かったです。あとDr. DreやSnoop Doggとかの西海岸のヒップホップもミックステープから知りました。その流れで、茂千代君、BAKA de GUESS?君、MISTA O.K.I.君とかのラップが入っているテープもダビングして聴くようになったんです。

あと、その時にDJ KENSAWさんのOWL NITE FOUDATION’Zの12インチとかも聴いていて、大阪のヒップホップのディープなところも知っていくみたいな流れでしたね。その後年齢を重ねていくうちに、海外のヒップホップもどんどん聴いていくようになりました。

NICKELMANさんは他のプロデューサーが作ったビートの上でラップをされることもありますが、ラップとビートはどちらを先に始めたんですか?

ラップ……というか、なんか知らんけどリリックを早い段階で書いていましたね(笑)。レコードとかに入っているインストを聴きながら書くようになりました。

NICKELMAN – RAW LIFE Feat.茂千代 Prod by ballhead

ちなみに、最初に始めた音楽はピアノでしたね。実家に大きなピアノがあったんで3歳から6歳くらいまでやっていました。今は全然弾けないんですけどね。

ビートメイクを始めたきっかけは何でしたか?

中3くらいから「ビートってどうやって作っているんだろう?」って興味を持ち始めました。その当時から『Graffiti magazine』とかを読んでいて、グラフィティライターやスケーターみたいな表に出ない人たちに惹かれたんですよね。ビートメイカーも同じ匂いがしたので憧れました。

ラッパーとしてライブを始めたのは高校生くらいなんですけど、大体みんなレコードに入っているインストを使ってラップするみたいな感じだったんですよ。それで元々興味を持っていたこともあって、高1か高2の頃に、「オリジナルのビートを作ってラップすれば他のMCと差別化できる」と思ったんです。「絶対に俺がビートを作れなあかん。習得したろう」みたいなモードになったんですよね。それで先輩から教えてもらって、Technicsのターンテーブルとミキサー、MPC2000XLを買ってサンプリングで作り始めました。

大阪のヒップホップシーンでの交流

最初はラップありきのビートだったんですね。そこからインストでの作品を出すモードになったのはいつ頃でしたか?

2014年の『BLUEBEATS』というビートテープを出した時くらいからですね。それ以前にもラップの曲のインスト集をCDで作って出したりはしていましたけど、ビートテープとしてカセットでリリースしたのはあれが最初だったと思います。

先ほど先輩から教えてもらったという話が出ましたが、身近にビートメイクを教えてくれるような人がいらっしゃったんですか?

いや、ビートメイク自体はほとんど独学でした。まず、ビートメイクをやっている人がすごく少なかったんです。当時はCOE-LA-CANTHとかがオリジナルのビートでラップをやっていたんですけど、メンバーのK-MOON君……今のGRADIS NICE君のビートを聴いて格好良いなとは思っていました。でも、当時高校生くらいだった自分とは近い存在じゃなかったから、遠目で見ていたんです。

その後、K-MOON君が昔働いていた「FLATt」という大阪の老舗のクラブで自分が20歳くらいの時に働くことになったんですよね。彼が辞めた後くらいのことでした。《PRIDE》というパーティーに出演していたINSIDE WORKERSやDJ KENSAWさん、DJ SOOMA君を「ラップもビートもドープで格好良いな」と思いながら横で見ていたりしましたね。でも、その時はフランクに話せる感じじゃなくて、教えてもらうとかできなくて(笑)。ビートを聞いて、「何を使ってんのかな? SP-1200とかMPC3000なのかな?」って想像を膨らませたりしていましたね。

DJ SOOMA meetz D.O.P.E EMCEEEZ – Check My Melody meetz INSIDE WORKERS

クラブで働いていた経験は大きそうですね。

そうなんですよ。INSIDE WORKERSをはじめ、オリジナルのビートでラップしている人をその時代にはよく聴いていました。あと、平日のレギュラーパーティーの《SO DEEP》というハウスミュージックのパーティーや、働いていたスタッフが企画するテクノやドラムンベースのパーティーで、ヒップホップ以外の音楽にもめちゃくちゃやられましたね。お客さんが踊っているところとか見ていて、BPMが速いビートや四つ打ちに固定観念を壊されていきました。そういうダンスミュージックの人は、MPCを使っていた方もいましたけど、割合的にヒップホップと違ってMPCじゃなくてソフトを使っている人が多かったんです。それでAbleton Liveとかを知りました。

その後、ヒップホップの仲間はどうやって増えていきましたか?

「FLATt」で働いている時にJUMBOという同世代のラッパーがいて、《地下質》というアンダーグラウンドヒップホップのパーティをやっていたんです。土俵ORIZINのINDEN君やGEBOさんとかが出ていました。イベントで俺もフリースタイルをしていたらJUMBOと仲良くなって、その流れでDJのKEITAやMO-RIと知り合ったんです。

今FREEMANZ PRODCTIONで一緒にやっている相方のFROGMANと知り合ったのもそうした流れからでした。ビートメイクの技術とかについて色々と話ができる、初めての気を遣わずに話せるビートメイク友達になったんです。お互いに使っている機材がMPC2000XLだったこともあって意気投合して、「あれどうやってるん?」って聞いたり、俺も教えたりして。それまで自分一人でああだこうだとやっていましたが、20歳くらいの時にFROGMANと出会って初めて今までには無かったビートメイクの情報交換ができるようになった。フリップの仕方だったり、ベースの入れ方だったり、色々なことを教わりましたね。

FROGMAN – Devil’s pie remix

「このネタこういう使い方すんねや」があると面白い

制作環境は、最初にMPCを買ってからどのように変化していきましたか?

2011年にKOR-ONEさんとインストの曲を作った時に、KOR-ONEさんがダブのテクニックを取り入れていて面白いなと思ったんです。それでテープエコーに興味を持ってすぐにゲットしました。

テープエコーを使用したKOR-ONEとのコラボ曲

また、同じ時期くらいにILL-SUGI君やBugseed君を知って、SP-404やSP-303を知りました。当時のトラックメイカーはMPC2000XLをLIVE会場に持ち込んでいたし、SP-404のコンパクトなところはすごく良いなと。

SP-404を使ったビートセッションの様子(演者はILL-SUGIとtajima hal)

SP-404はDJの先輩から譲り受けたんですが、FROGMANからコンプがめっちゃいいというのも聞いたので、後にSP-303も買いましたね。そこから今の自分のラフな感じの音作りができてきました。ゲームみたいにざっくりと作れるようになったんですよね。

今は基本的にMPC2000XLをメインに使って、SP-303やテープエコー、カオスパッドを使いつつ、最終的にはカセットデッキでマスター録音しています。ミックスも全部MPC2000XLの中だけでやっていますね。

NICKELMANが制作に使用している機材

ということは、DAWは使っていないんですか?

全然使ってないです(笑)。マスターのカセットテープからGarageBandに入れているだけですね。SP-303を手に入れてから、「コンプかけてカセット録音したらそれでええやん」みたいな感じになりました。それで今言ったようなヒップホップのダーティな部分みたいなものが出るような気がしています。

制作は今サンプリングだけで作っているんですか?

そうですね、今の作品はほぼサンプリングだけです。でも、FREEMANZ PRODUCTIONで作った『KEY MILESTONES』というアルバムはシンセを使いました。FROGMANと2人で「シンセを弾けるようになりたい」って話になって、シンセを買って練習していたら次第に「アルバムにしていこうか」みたいな流れになって作ったアルバムです。FROGMANがコードを担当して、俺はジャズっぽいテイストの鍵盤のノリやリードの即興をやりました。骨組みのデモビートの上にGarageBandで一発録りして作りましたね。

研究したビートメイカーはいますか?

初期はDJ PremierやPete Rockをお手本にしていました。あとはMo’ Waxの時のDJ ShadowやDJ KRUSHさんも結構聴いていましたね。そのノリでJ DillaやMadlib、MF DOOMとかのインストアルバムも聴いて勉強しました。最近だったらKnxwledgeやIman Omari、Mndsgn周辺も色々聴いています。

Knxwledgeすごいですよね。取材していて名前が挙がることも多いです。

Knxwledgeは「そんなことする?!」みたいな感じなんですよね(笑)。「そのドラムの打ち方、新しいな」とかもあるんですけど、フリースタイルのアカペラを乗せたりとか。自由な感じが格好良いです。Knxwledgeに限らず今名前を挙げた人たちは、「このネタこういう使い方すんねや」みたいな発見があるのが面白いんですよね。

NxWorries (Anderson.Paak & Knxwledge) – Suede

この流れで、「史上最高のビートメイカー」を5人挙げてもらってもいいですか?

MF DOOMはラップもできてビートも格好良くて、スタンス自体も全部格好良いなと思ってます。あとはMadlib。ざっくりとした感じのビートの作り方や、「この人レコード絶対好きやん」というところにも惹かれます。BLUENOTEの音源をサンプリングして制作された『Shades of Blue』はリリース当時何回も聴いたアルバムだし、(Madlibの変名である)Yesterdays New Quiestの『Stevie』というStevie Wonderのトリビュートアルバムがあるじゃないですか。あのレコードはFROGMANが貸してくれて、最近でもよく聴いています。

自分の活動初期の頃に食らったのはDJ Premierです。Gang Starrがめっちゃ好きだったんですよね。2000年代に入っても格好良かったですし。DJ Premierって、元ネタがわからないくらいチョップしてもめっちゃハメてくるじゃないですか。あれがすごいと思います。

そしてさっきも言ったKnxwledgeと……最後一人はめっちゃ悩みますね。J Dillaはもちろんなんですけど、「同じ日本人として世界に名を知らしめた」という意味でDJ KRUSHさんにしたいと思います。

アナログの質感へのこだわり

ネタ選びへのこだわりは何かありますか?

特にないつもりなんですけど、自分が好きなコード感はあると思いますね。なんとなく「これ俺っぽいな」って時があって、そういう直感のみで選んでいます。

あと、ソウルやジャズのような生音の感じが好きですね。ソウルとかって、声ネタのフリップでサンプリングすることが多いじゃないですか。その声ネタが作っているアルバムのコンセプトにマッチしているかをめっちゃ考えるので、使おうと思ったフレーズはサンプリングする前に歌詞の意味を和訳するようにしています。ゆるくて愛溢れるアルバムの時は特に意識しますね。

制作で一番時間をかけているのはどの部分になりますか?

作る前にサンプリングネタを丸ごと一曲聴くんですけど、そうやって曲を聴くことに一番時間をかけていますね。ジャズとかだとインストの曲も多いですけど、例えばソウルだと歌詞もめっちゃ良かったりするじゃないですか。和訳して意味を読み解きながら聴いて、「ここをメインのループで使うぞ」とひらめいたら曲のコンセプトやテーマを決めます。

そこからサビや展開を考えて、後は早いです。グルーヴ感を出すのに組んで修正して、また組んでは修正して……って感じで、自分の理想のグルーヴの完成に近づけていく感じですね。

元ネタを短なる素材ではなく、曲として好きになって作っているんですね。

元々「VINYL 7」というレコ屋で働いていて、レアグルーヴやジャズ、ソウルが好きなんですよ。もちろんレゲエ、ダブやファンク、ディスコも好きですけど。普段お世話になってるレコード屋の「ISANDLA」のラジオや、NTS(イギリスのインターネットラジオ局)の番組をよく仕事中に聴いていて。そこで流れている、BGMとして聴けるような60~70年代のレコードの音が好きなんですよね。

ISANDLA RADIOの配信アーカイブ
NTSの配信アーカイブ

レコードの音といえば、〈DCR〉のプロフィールでもアナログの質感へのこだわりに触れていますよね。

レコードの音って、耳に馴染みやすい暖かい音質だと思うんですよ。自分自身テープを聴いていた世代ですし……デジタルって、音が波形でバシッと決まっているじゃないですか。それに対して、レコードやテープには動物的な魅力があると思うんです。盤が曲がっていたら変な音の鳴り方をしたり、テープを聴き過ぎると伸びていったり。そういうのってデジタルには出せない一個一個の個体差であり、魅力みたいなものに繋がっていると思うんですよね。

愛着も湧きやすいですし。マスタリングする時も毎回テープに落とすことによって、その日その日の違いが出るような気がします。デジタルに落とし込むのにも、一回カセットを通すと面白くなるんですよね。

NICKELMANさんのカセット・コレクション

〈DCR〉の話の流れでお聞きしたいのですが、そもそも〈DCR〉を始めたきっかけは何でしたか?

レコ屋の時に上司だったMatsumoto Hisataakaaさんに「レーベルって、どうやったらいいんですか?」と聞いたのが始まりですね。それまではレーベルってすごく大きな規模感を考えていたんですけど、「レーベルなんて名前決めて全部自分でやったらいいねん。あとはロゴとか考えて、ブログとかも頑張れ」みたいに言われて「そんなに簡単にできるんや」と思って始めました。先輩のグラフィティライターのRAIEN君にスプレーでロゴを描いてもらって、それをトレースしてレーベルロゴを作ってデモCDを作って配ったりしましたね。それが〈DCR〉の始まりで、2009年くらいのことです。

今年で14年目なんですね。もはや老舗じゃないですか!

そうなんですよ(笑)。「自分や自分の周りの人の音源を自由にリリースする環境を作って、それぞれで好き勝手やりたい」っていうのが〈DCR〉を始めた一番大きな理由でした。

〈DCR〉はカセットやレコードをたくさん出していますが、そういったフィジカルリリースの魅力はなんだと思いますか?

「物質として世の中に残すということは、その時代に自分が生きていた証拠を残すこと」だと思っているんです。Miles DavisやSun Raってたくさんのレコードを残していて、時期によって作品の内容も変化していくじゃないですか。俺は彼らの影響を受けていて、自分がその時に面白いと思ったものを形に残すことに重きを置いているんですよね。だからリリース量も多いのかなと思います。あと、テープやレコードって飾っても格好良いし、年が経つごとに味が出てくるじゃないですか。CDよりレコードのほうが長く残りますし、物質として残すならレコードやカセットが好きなんですよね。

〈DCR〉からリリースしたアナログ盤・カセットテープの一部