
yanagamiyukiインタビュー 憂鬱と生きながら問う、生命とAIとボーカロイド
連載企画【エッジーなエレクトロニック・サウンドを求めて】。この連載では、エレクトロニック・ミュージックシーンの先端で刺激的なサウンドを探求するアーティストにインタビューし、そのサウンド作りの心得やテクニックを明らかにしていく。
第12回のインタビューに登場するのはyanagamiyuki。2011年の初リリースからボカロPとしてニコニコ動画を中心に活動を継続し、「憂鬱と生きる」(2016年)や「My Name Is」(2019年)のバイラルにより一躍注目を浴びる。近年ではアングラなクラブミュージックイベント《cicada》に参加するほか、2022年6月にはクリプトン主催の《MIKU EXPO Digital Stars 2022 Online》にも出演するなど、国境やシーンを問わないオルタナティブなボーカロイド音楽の可能性を探る人物だ。
音楽的ルーツから将来まで、虚飾のない言葉で語ってくれたyanagamiyukiは、直截に言ってしまえば、生活苦から否応なく生まれた鋭くアンモラルな表現とは裏腹に、優しさに満ちたまなざしを世界に向けている。そんな彼のルーツから作品制作にあたる姿勢などを辿るインタビューとなった。
「伝えたいことを伝える」ためのボーカロイド
音楽の原体験について教えてください。
初めて音楽を音楽として強く意識したのは小学3年生の時、はまじーという友達の家で遊んだ『風のクロノア2 〜世界が望んだ忘れもの〜』というPS2のゲームでした。聴きたい曲が流れるステージを何度も彼にやってもらったんです。物語の終盤が本当にシリアスで2人で半泣きになっていました。
ほかにもゲーム音楽だと『サルゲッチュ』や『リッジレーサーV』など、今聴くとドラムンベースだったりテクノだったり、もちろん当時は意識していなかったんですけど、無意識にそういう音楽を浴びて口ずさみながら遊んでいましたね。
ゲーム音楽からの影響が大きいのですね。
とても大きかったと思います。家では瞑想音楽みたいなアンビエント系の音楽とカーペンターズのベスト盤が無限に流れていたので、すごくクリーンな音楽にばかり触れていて。友達とゲームで遊ぶようになってから初めて音楽が自分と関係のないものではなくなりました。
それから『バーンアウト3 テイクダウン』というゲームのサントラにYellowcardやFranz Ferdinand、Jimmy Eat Worldが入っていて、海外のポップパンクに興味を持つようになりました。中学1年生の頃にはblink-182やSum 41などのバンドを聴くようになって。
高校の頃はバンドでELLEGARDENやストレイテナーのコピーをやったり、校外ではDIR EN GREY好きの友達と集まってオリジナルバンドを組んだりしました。後者の方は本当にしょっちゅう喧嘩をしていて……オリジナルバンドをやるのって大変だなと思いましたね。
ボーカロイドについてはどのタイミングで出会ったんですか?
高校生になったばかりの2008年の春、学校にPSPを持ってきていたキョンという友達がニコニコ動画からぶっこ抜いてきた動画をよく見せてくれたのがきっかけで、自分も学校から帰ると毎日ニコニコ動画を見るようになりました。
ボーカロイド音楽に惹かれたのは、クオリティ以外にもたくさん評価軸があって、あらゆる表現が許される懐の深さみたいなところだったと思います。たとえば、バンドマンの夢を諦めた人であってもその思いの丈を投稿できるというか。
自分はまだ高校生でしたけど、音楽業界のメインストリームってパフォーマンスと少しの嘘がうまい人だけが生き残っていくようなイメージを抱いていたんですよね。僕は勉強で落ちこぼれだったので、そうした弱者の目線で世界を見ていたようなところがあって。だから、ボーカロイドは人の数だけ存在する自由なアバターで、性別も性格もない、みんなの無念を晴らす多様性の象徴だと思いました。
小林オニキス – サイハテ(2008)
おにゅうP – ハートディスクドライブ(2010)
「初音ミク」という固有のキャラクターではなく、誰にとっても開かれた存在であるところに惹かれたと。
自分にとってはそれが衝撃的でした。まだ既存のイメージが少なく誰にとっても開かれていることはすごく重要で、余計なアイデンティティや偏った思想を植え付けられていないフラットな状態こそが未来だと思いました。それと初音ミクは「なるべく性的に消費されないようにデザインされた」という噂があって、僕はそれにすごくくらったんですよね。
『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』(鮎川ぱて著)という本では、pixivにアップロードされたイラストが、初音ミクは「R-18」タグが他の様々なキャラクターと比較して有意に少ないことが書かれていました。
そんな統計があったなんてめちゃくちゃ面白いです。思えば当時、初音ミクのR-18絵を見かけたとき、踏み絵をさせられている気分になったのを覚えています。
yanagamiyukiさんは2011年頃から自身でもボーカロイド楽曲を投稿していますが、その経緯について教えていただけますか?
高校卒業と同時に家出をして、訳ありのアパートでひとり暮らしを始めた頃、バンドをやりたいと思っていたんです。でも先ほども言ったとおりオリジナルバンドは喧嘩が絶えなくて、僕はまず人付き合いからちゃんとやらなきゃいけないんだなと……。そうした挫折があって、一人で音楽をやるしかないと思った時に、そういえば初音ミクがあったなと。
どんな形であっても音楽をやりたかった。
……と言えたらかっこよかったんですけど、僕は音楽そのものというよりは、伝えたい話題がその都度あったんです。それと本当はゲーム実況者になりたかったんですよ。
え、ゲーム実況者?!
はい(笑)。特に、実生活に問題があったり、ちょっと口の悪い配信者に憧れていて。そういう人たちって、ゲームが上手いとか話が面白いとか、そういった特技で生きているじゃないですか。多少社会性がなくても「何かひとつ芸があればギリギリ生きてて良い感じがする」ということが僕にとって救いだったんです。
今の例とは少し逸れますが昔、M.S.S Projectのみなさんが「オリジナル曲を聴いてもらうためにゲーム実況者になった」ということを知って、自分は逆にまずはボカロPを頑張ってみようと思いました。というのも、19才の夏にアップした『MineCraft』の実況動画が一つもマイリス登録されなくてめげちゃったんですよね。自分にはゲーム実況の才能が本当に無かったから、音楽だけでもめげずにいこうと。
M.S.S Project – M.S.S.Planet(2013)
ゲーム実況者からボカロPへ……。
その当時から10年経った今、ようやくゲーム実況をアップするようになりました。正直あまり才能は感じていませんが、純粋にとても楽しいです。細々とやっていくと思うので、暇で仕方のない時にでも見てみてください(笑)。
スマホで作った音楽が“操縦不能”になるまで
最初のヒット作として2016年に発表したトロピカルハウスの楽曲「憂鬱と生きる」がありますね。
当時、建築業界で施工図を書く仕事をしていたんですけど、その時に作ったのが「憂鬱と生きる」でした。サラリーマンを続けながら惰性で音楽をやること、十代の頃からの希死念慮や酷い自罰意識……そうしたことと折り合いをつけて大人になることについてすごく考えていた時期で。
実は、「憂鬱と生きる」で音楽をやめようと考えていたんです。でも、この曲は英語圏の方が翻訳されたバージョンがYouTubeにアップされて海外で少し跳ねてしまって。国内では注目されなかったんですけど、海外でも自分と同じように労働や自罰意識に苦しむ人がいるんだと知って、もう少し続けようかなと思い直しました。
yanagamiyuki – 憂鬱と生きる(2016)
その後「貧困と尊厳」という曲でブーンバップのラップソングを出していますね。テーマは「憂鬱と生きる」の延長線上にあると思いますが、表現としては新たにラップが加わっています。
あの曲で初めてラップを書いてみようと思いました。その時ちょうど、M4YR0CKさんと一緒に行った上野ポエトリカンジャムというイベントでフリースタイルをされていたShuNさんに衝撃を受けて。その日以来、M4YR0CKさんとShuNさんに感化され続けたというのが大きいです。自分でもヒップホップを作ってみたいなって。
遡ると、僕自身は中学生の時にミックステープ時代のEminemやChingyなどのクランクミュージックをよく聴いていて、ブーンバップのメンタルやクランクのリズム感が根幹にずっと残っていたんだと思います。
yanagamiyuki – 貧困と尊厳(2018)
そのラップミュージックの感覚が2019年のヒット作「My Name Is」に繋がったのでしょうか?
あらゆるものが繋がった点が「My Name Is」だったのかもしれません。それと初音ミクのトラップを語る上で松傘さんの存在を抜きに語ることはできません。彼の創作に対する美学や態度、ユーモアに大きな影響を受けました。
松傘 – 同級生(2019)
また当時は、内向的な自分にとって最もフィジカルで音楽を捉えるような時期でもありました。前の仕事を辞めてnagomix渋谷というクラブのスタッフをしていたのですが、毎日のように現場に入って、すごく人の流動性の高い場所にいたし、ノリの流行り廃りも見たし、そうした熱量がミーム的なラップとしての「My Name Is」に反映されたように感じています。
とにかく低音さえ出ていればいいみたいな時期だったので、808のゴーストノートを休符の代わりにバカみたいに低くしたんです。作った曲をバイト終わりにフロアで勝手に流してみて「もっといけるな」みたいな感じで、フィジカルに響くような曲を作ろうと(笑)。
『合成音声音楽の世界 2020』のインタビューを拝読しましたが、その当時、スマホで作曲されていたというのは本当ですか?
2020年の暮れ、ピーナッツくんと作った「未来NEXTメシ」まではずっとそうですね。とにかく元気だったので、バイトに行くまでの電車の中、スマホでトラップビートを作っていて。ずっと貯金もできなければ環境を変える体力もなかったのでスマホでなんとかやっていました。
あと、安いノートパソコンよりスマホの方がトラック数が多くても落ちないんですよね。だからKORG Gadget 2と「音圧爆上げくん」という自動マスタリングサービスを使って、通勤の間をビートづくりの時間にしていました。
ボーカロイドのソフトは当時もスマホには対応していませんよね……?
はい。だから妹の大学用のノートPCに初音ミクをインストールして、必要な時だけ借りていました。妹はレポートを書く時以外は使わなかったので、ミクの声を入れるのとミックスと動画編集の時にだけ、使わせてもらいました。
凄まじい……。そんな時期に制作された「My Name Is」がヒットした経緯も教えていただけますか?
最初はニコニコ動画にだけひっそり上げてたんですけど、これも海外の転載が話題になりました。ビートもフックもUSのノリを参照しているし、映像含めてジャパニーズサイバー感みたいなところがウケちゃったんだろうなと。
転載の経緯は話すとキリがないんですが、「ジャパニーズオタクトラップ」みたいな感じで一度転載されてから芋づる式に連鎖してしまったんです。こちらが差し止めようと連絡すると、「音楽は人類共通の財産である」と言って転載を正当化する人も出てきて。「あなたがYouTubeに投稿するまで転載を止めない」と脅されすらしたんです。他にも英語以外の言語圏の方が勝手に転載するとこちらの呼びかけも伝わらなかったり、無断でサブスクの申請をされて僕とどちらが先にTuneCoreに承認されるかのレースをしたり。
勝手にサブスクに申請したのはたしかオーストラリアの方で、「GUYS IM GOING TO UPLOAD IT TO SPOTIFY!!!」とコメントしていたのですが、それをスクショして「F*** YOU」といったインスタのストーリーをあげて、それをステッカーにしてジャケットに貼りました。その後オーストラリアの彼から「これが悪いことだと知らなかった」とすごく謝られて。単なる善意で転載する人もいるんですよね。僕も「ジャケに使っちゃってごめんね」と謝りました(笑)。
ヤバい話ですね……。でもどうして、最初はニコニコ動画にのみアップしたのでしょう?
ニコニコ動画の中だから自由にできることが、外に出るとできないってわかっていたんです。YouTubeに投稿したあとはやはり色々あって、あとから一部にはモザイクをかけ直しました。公序良俗に反してしまうというか、モラル的にまずいものがあったからこそ、クローズドなニコニコ動画だけに収めたかったんです。それと昔のニコ動特有の面白さをまたみんなに思い出してほしかった。
でも、自分が大人になるにつれて、昔のニコニコ動画の無法地帯なカオスな価値観に対して冷静に「ダメだったよね」と思えるようになってきていて。ニコニコ動画がサービス開始してすぐの時期から楽しんできた身ですけど、ジェンダー観も含めて見直されないといけない時代になっていますよね。10年前はもっと差別と冷笑と盗用の文化だった気がします。
自分も同世代のニコ厨のひとりでしたが、強く同意します。
面白いだけじゃ済まされないような価値観だし、本当に良くないものだったよねって……でも、時々またすごいクオリティの音MADがでてきたり、その是非が話題になるのは正直いまだに面白いと思ってしまうなという、そういう温度感ですね。ですが、みんなが好きなものの寄せ集めが数字を集めていいのかという疑問はずっとあります。「My Name Is」は自分で作詞作曲をしているので他の人に盗用されるくらいならと、リリースしましたけど、愛憎のある作品です。
ボーカロイドに落とし込むと、自分だけの痛みじゃなくなる
最近ではEP『私たちは生命への冒涜でしたか』や「ミザリーai(feat.可不)」など、AIをモチーフにした作品も発表していますね。「My Name Is」もそうでしたが、ボーカロイドの存在を問い直すようなメタな作風がyanagamiyukiさんの魅力であるように思います。
「歌わされるボーカロイド」とか「心を持つかもしれないボーカロイド」みたいな、ディストピア調の悲しい歌姫のモチーフというのは、ボカロ最初期は特に人気があったジャンルです。ボカロをメタに捉えることはある意味オールドスクールというか、様式美のひとつとして存在していたんですよね。僕もそこに影響を受けたし、その幻影を追っているところがあって。
nak-amiP – わたしはミーム(2009)
AIというモチーフに取り組むようになったのは、父がディープラーニングを用いた技術開発を主な生業にしていることが大きいと思っています。Stable Defusionはじめ、AIアートが今すごいですけど、AIのトピックが流行してから父と会話することが増えて、僕としてはそういう点でも感謝しているんです。
この夏のAI絵ショック以降のTwitterとかを見ていると、人とAIが戦っているんじゃなくて、技術者とクリエイターが争っているように感じるんですね。いよいよSFでは済まなくなった時代に突入した今だからこそ、エンタメとしてのAI観にも多少の解像度の高さが必要ではないかと思うようになって。なるべくニュートラルな立場でAIの存在を表現できれば、と考えています。
ボカロの従来的な様式美と時事的な問題意識が、AIをモチーフにする点に結実したと。「ミザリーai(feat.可不)」ではそもそもAIにアシストされる可不を用いつつ、人類ともAIともつかぬ微妙な立場から生命について歌っていますね。
AIが発展途上の現代ならではの表現と思っていただけたら嬉しいかもしれません。ですがこれもEminemがSlim Shadyという別人格に扮してラップショーをしていたことの後追いに過ぎないと思っています。
自分はほかにも『Fallout4』や『Cyberpunk 2077』みたいなSFゲームがすごく好きで。僕のもう一つの生活にしたいと言っていいくらい愛しているんですけど、どちらも悲惨な2077年のビジョンを描いているんですよ。でもそれが好きなのは、科学が発展すれば人が不幸になるという悲観的なことではなくて、どれだけ環境が変わっても人の不幸の本質が変わらないことを描いているからなんです。高度に発達した文明社会であっても、核戦争後の後退した文明社会であっても、悩みが失恋だったり、家族の喧嘩だったり、集団の中の立ち位置だったり。「人の悩み、全然変わらないじゃん!」みたいな。
自分もこの感覚で歌詞を書いていくと、単なる不幸の切り売りじゃなくなってくるんですよね。音楽を作り始めて7年くらいは「辛いのをわかってくれ」と訴えていたように思いますが、最近は苦悩をAIやボーカロイドの存在に落とし込むことで、自分だけの痛みじゃなくなってくれるように感じていて。
ボーカロイドというアバターを通して、ご自身の体験をフィクションに昇華させている。
そうなのかもしれません。以前は自分とボーカロイドをシンクロさせて、自分の主張を歌わせていた節がありました。
でも、魂をそっくりそのままどこか違うものに移すSF的な世界観って、どれだけ進歩しようとも技術的に現実性がないらしいんですよね。出来たとして複製までで、オリジナルの意識そのものは寿命まで肉体に依存せざるを得ないと。その言説を知ったことが大きくて、僕なりに魂の所在とか物の命とかを再度考えるようになったし、ボーカロイドと自分の距離を捉え直すようになったのかもしれません。
なるほど。テーマやリリック以外に、トラックについても伺いたいと考えていて。キャリアを追っていくと様々なジャンルを横断的に取り組んでいるような印象があります。
これまで、ただ自分のできる範囲の音楽をやっているという感じではありますが、文化盗用で終らないよう慎重でありたいなと考えています。それこそ「My Name Is」はUSトラップを参照していますけど、最低限盗用するマナーを守ったつもりで……つまり「アジア人の陰キャがトラップをパクってんな」というのを、きちんと前面に出すようにしているつもりです。
そうなんですね。でもトレンドに対する反応速度の早い方なんだろうと、勝手ながら思っていました。
新しいトレンドが出たらとりあえず全部一回食べてみる、という感じで。トラップはちょうど自分の肌に合ったと思ったんです。合わなければ無理して真似しないし、踏み荒らさないように心がけていますね。
マツコ・デラックスさんが言っていた「若い人の芝を荒らさない」という言葉がすごく好きで、肝に銘じていますね。hyperpopのトレンドにはそのとき自分が置かれている境遇に親和性を感じなかったので一定の距離を置きました。
ジャンルってリズムの組み方だけでなくコミュニティや地域性、精神性にまで関わるものだから、扱いには気をつけたいなと。……とはいえ自分も以前は細かい定義でよく石を投げていたし、今ではたまに投げられるようになりました。
「祝福」ではジャンルを消費することに対する批判精神がありますよね。今、hyperpopへの言及もありましたが、どうお考えですか? 『合成音声音楽の世界 2020』のインタビューの時点では注目していると仰られていました。
hyperpopは肌感覚で楽しむ余地もないまま、あっという間に通り過ぎていったものでした。体系的に理解しようとした時点で自分が外側の人間なんだということがわかったんです。内側にいた人たちも、2年ほどの期間で変化して大人になっていく様子を見たので、そもそも流れている時間のスピードが自分のいる場所とは違うように思いました。
hyperpopに限らず、ある日突然にして未来が訪れるような、価値観の大型アップデートみたいなことが示されても、僕には信じられなくて。世代が変われば常にあることですけど、新たなムーブメントの無邪気なクリエイティブさの陰には、刹那的な野蛮さと優生思想が潜んでいるように僕には見えるんです。表現や生き方の正解には常にグラデーションがあってほしい。
ですが、ある意味それが代謝となって、自分は席を空ける、退場する、バトンを渡すといった姿勢にシフトできたところもあって。それはhyperpopがあってくれたおかげだったと思っています。
野心と無縁な表現欲はどこへゆく
2020年までスマホで制作をされていたとのことですが、現在の制作方法について教えていただけますか?
今はFL Studio20をデスクトップPCで使っています。基本的にはサンプリングをせず、MIDIの手打ちが好きです。プラグインもFL純正のものがメインで、愛用している合成音声ソフトは、初音ミクV4X、MAYU、CeVIOのさとうささら、最近はCeVIO AIの可不も使うようになりました。VOICEVOXの春日部つむぎも好きです。
実際の制作はというと、作詞と作曲に心身のエネルギーの90%くらいを使って、あとの編曲、ミキシング、マスタリングは残った余力でやるという感じです。
スマホからPCに変えて、実感としてはどうですか?
今のほうがいいです。でも、あるもので勝負するのも正解だし、最初に揃えなさいというのも正解だったんだと思います。
yanagamiyukiさんが仰ると重みがあります。ちなみに制作についてはどのように学びましたか?
作詞作曲は中学生の頃からやっていましたが、がむしゃらに効率悪くギターとピアノを触っているという感じで。コードの概念すらなく、長きに渡って中二病だったので、かなり難解な曲を作っていましたね……。
それから音楽理論をしっかり学ぼうという意志が湧いたので、定番の黄色い『楽典』を図書館で借りてみたのですが、一日で挫折して返却してしまって。YouTubeのDTM学習動画も見ましたが英語がなかなかわからず、結局ギターや鍵盤での耳コピだけをひたすらやりました。
トラックメイクのスタンスという観点では、先ほども話題に出したM4YR0CKさんから学んだところが大きいです。職人気質な人で、音に対する情熱もすごいし、それこそジャンルの文脈をとても大事にする方なんですね。自分も彼のようなクリエイターになりたいなと思いました。
M4YR0CK – 季節性アブストラクト(2016)
なるほど、ありがとうございます。最後に今後の展望についても伺えますか?
ゲーム実況をちょっとずつやっていこうかなと……。
やはりゲーム実況者ですか!
自分が昔友達もいなくてお金もなくて進学もしていなくて、というつらい時期に心の支えとなったのが実況者の方々だったので、当時の自分みたいな人が安心して見れる世界がもっとあったらいいなって思います。
最近のゲーム実況は配信がメインだから、ワイワイしているんですよね。チャット欄がバーっと動いて、スパチャが飛んで。明るいんですよね、すごく。僕はもっと、つまんないマイクラ実況とか、何の展開もないPUBGとかでいいんですよ。
そういう世界にまだちょっと執着があって、自分もそれに近いことをやりたいと思っているのかな。
いや、それは応援したいです……が、せっかくなので音楽的な展望もお聞かせいただけるとありがたいです(笑)。
(笑)。実際のところ、音楽的な野心みたいなものはあまりないんです。音楽をやっても、言論のようなことをやっても、それに数字がつくと暴力性をはらむように思えて恐ろしくなってしまいます。僕は全然何も正しくないし、学もないし、偉くもない。導いてくれる人がいなくて、この先どうしたらいいのかが分かりません。
ただ、生きている内にアルバムを出すとしたら今しかないなって。今の時間的な余裕や今後の体調や集中力を考えると最後のチャンスとさえ思います。その先のビジョンも夢もないんですけど……大丈夫でしょうか?
もちろん大丈夫です(笑)! そもそも最初の動機からして「売れたい」じゃなくて「伝えたいことがあった」というのが印象に残っていて。伝えたいことがある限りは音楽を続ける、ということでしょうか?
そうかもしれないですね。自分にとって音楽を作る動機って、10代と社会人との隔たりとか、健常者とメンヘラとの隔たりとか、男と女の隔たりとか、そうした恐らく生涯レベルで理解しあえない両者の橋渡しをしたい、ということが大きいんです。周りの人が仲良く過ごしてくれるということは、僕にとっては本当に重要なことなんです。
だから、たぶんですけど、自分の身の回りや僕自身が幸せになったら音楽をやらないと思います。
あと、創作で何かを表現するということ自体や人気商売そのものにアレルギーが出てきてしまって悩んでいます。自分の取り扱うテーマも反出生主義のような際どい領域に入ってきてしまったので、もちろん教育的にもまずいし、自分自身もそこまでは傾倒したくないと思っています。今のぼくには正直どんな媒体の表現活動よりも、人と人を繋ぐハブになること、今まさにnamahogeさんがされているようなジャーナリズムに近い活動や生き方のほうにこそ強い憧れがあります。だから、今日は呼んでくれて、こんなにたくさん聞き出してくれて、それをみんなに伝えてくれて、本当にありがとうございました。
恐縮です……! でも、yanagamiyukiさんの表現に救われる人はきっと多いはずですし、yanagamiyukiさんの歩む道なら誰も文句言わないと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました!
取材・文:namahoge(@namahoge_f)