
DAWをアナログ機材に置き換えると? “仮想の配線”を意識する【UI/UXから学ぶDAW論】第8回:ミキサーとルーティング
複雑なDAW(音楽制作ソフト)との付き合い方を、「UX(ユーザーエクスペリンス)」および「UI(ユーザーインターフェイス)」の観点から紐解く連載【UI/UXから学ぶDAW論】。音楽理論学習サイト「Soundquest」の管理人にして、サウンド・GUIデザイナーの吉松悠太さんによる執筆です。
【UI/UXから学ぶDAW論】前回の記事はこちら:
はじめに
コンピューターのUIは様々な場面で、そのデザインに現実の【メタファー(比喩)】を用いています。例えばパソコンでは「ファイル」を「フォルダ」にまとめて管理し、要らなくなったら「ゴミ箱」に捨てます。

改めて考えるとこれは、紙の世界の言葉使いを電子の世界に持ち込んでいますよね。パソコン世界を現実とリンクさせることで直感的に扱えるようにする。メタファーはUIにおいて重要な役割を果たすのです。
DAWの世界でも、ツールとしてエンピツ・消しゴム・ハサミなどを使うのはメタファーの一種と言えるでしょう。
スキューモーフィズム
特にその質感や操作感まで現実に似せて作るデザイン法のことを、【スキューモーフィズム】といいます。
電子書籍アプリで「紙をめくる操作」「紙の裏側の字が透けて見える質感」が再現されていたり、タイマーアプリで「カリカリと目盛りを回転させる操作」が再現されていたりするのはその有名な実践例です。

DAWとスキューモーフィズム
DAWも実に多くの要素を現実から持ち込んでいて、例えば「ミキサー」などはその典型ですね。

「ノブ」や「フェーダー」といったものがそのまま継承されています。音源のUIにしてもドラム音源ならドラムが、シンセ音源ならシンセがそのまま描かれているなど、DTMの世界ではスキューモーフィズムは根強くあります。

憧れの高級機材をソフト上で擬似体験することがDTMの愉しみのひとつだったりもしますからね。
“超現実”のデザイン
そんな中、全く正反対の路線を進むのがAbleton Liveです。

こんな具合で、凹凸や影の一切ないフラットなデザインが徹底されています。特にフェーダーやスイッチがただの四角形になっているのは象徴的です。

こうして見比べると、リアルなパーツを捨てた分そこにテキストで情報を載せることが出来ています。“超現実”のデザインとでも言ったところでしょうか。
おかげでUIはコンパクトになりますが、その反面フェーダー・ボタン・メニューの区別などは付きにくくなりますから、これは諸刃の剣でもあります。
仮想世界と配線
とはいえどんなDAWも、こうした“超現実”のデザインを少なからず活用しています。例えばDAWではトラックをいくらでも増設できるし、また音を送受するのにケーブルを挿す必要もない。ハードの世界が持つ制約なんて関係ないのがソフトの世界です。
それは便利でもあるのですが、「ケーブルが目に見えない」というのは、実は挫折を招く要因にもなりえます。
見えないケーブル
オーディオの「配線」というのはややこしいものです。現実でも、機材のケーブルを正しく繋ぐのには苦労しますよね。

確かにDAWにケーブルはありませんが、それは人類が配線から解放されたことを決して意味しません。少し凝った編集をしたかったら、けっきょくは音の配線をいじる必要が出てきます。そしてその時には、目に見えないケーブルを繋がなければならないのです。今回はこのDAWの配線をテーマに扱っていきます。
マルチ出力
配線をいじる必要に駆られる代表例が、【マルチ出力】です。例えば「ドラム音源のうちスネアにだけエコーをかけたい」としましょう。そんな時には、全体の音からスネアだけを切り離して、別の経路で個別に送り出す必要があります。

こういう配線をDAW内で組まねばならない。この個別送信の仕組みが【マルチ出力】です。ではDAW上で一体どうやって配線をカスタマイズするのでしょうか?
Studio Oneの場合
Studio Oneを例にとります。Studio Oneではミキサーの左側にマルチ出力用のトラックが隠れていて、チェックをオンにすることでトラックがドゥンと出現します。

これでエコーエフェクターを挿す場所は確保できました。でもまだケーブルは繋がっていませんので、もうひと作業が必要です。

ケーブルを繋ぐ作業は、ドラム音源の方で行います。

こんな風に特定のメニューをカチカチっとクリックしただけですが、これでもう配線が切り替わり、スネアだけは副トラックへ流れるようになりました。
知っていれば簡単な作業ですけれど、習得するまではずいぶん苦労します。ケーブルが見えないから、今どこが繋がっていてどこがまだなのかも頭でイメージするしかない。“超現実”の代償をここでは支払わされているのです。
ちなみに他のDAWでも似たやり方でマルチ出力が可能ですが、Liveはちょっと手間が多かったりするなど、ここにもDAWごとの個性は表れています。
サイドチェイン
もうひとつ代表的な配線として挙げられるのが、特にダンスミュージックで必須の【サイドチェイン】というシステムです。
ダンスミュージックではキックのボリュームをとにかく確保したいので、「キックが鳴った瞬間は他の音を自動で小さくする」という時にこのシステムを使います。

音量調整の処理自体は【コンプレッサー】という音量調整エフェクターによって、自動で行われます。しかしこの処理を実現するには、他のトラックたちがキックの音を“盗み聴き”する必要があります。

キックの音がコンプレッサーに流れ込むように、配線を組まねばならないのです。
LiveやLogicの場合
といっても設定は決して難しくはなく、LiveやLogicなど多くのDAWでは、コンプレッサーの中に「サイドチェイン」という項目があらかじめ用意されています。

ここでキックのトラックを指定すれば、コンプレッサーはメインの音に加えてキックの音も“傍受”するようになり、キックが鳴ったらそれを検知して音量を下げてくれます。賢いですよね。

こんな風に横(side)にいるトラックと繋がる(chain)から、サイドチェインというわけです。
CubaseやStudio Oneの場合
CubaseやStudio Oneでもサイドチェインのやり方はほとんど同じなのですが、こちらは1体のコンプレッサーが複数のトラックを“まとめ聴き”できるシステムになっています。

現実だと1つの穴に挿せるケーブルは1本ですけども、ヴァーチャルの世界ならそんなの関係ないじゃないかと考えたわけです。

3つのキックを全て“傍受”して、どれかが鳴ったら音量を下げる。とんだ“ワンオペ”ですが、システムとしては効率的です。

確かに、1曲の中で複数のキック音を使用することはあります。“超現実”の利点を活かした、優秀な設計だと言えます。
FL Studioの場合
メニューから選んで簡単に配線ができるのはスピーディです。しかしその一方、ケーブルが見えないせいで混乱してしまう側面もある。
そこでユニークな発想をしたのが、「ハコ」に関してもユニークであったFL Studioです。FLではミキサー画面にてまず送り元のトラックを選択し、それから送り先のトラックにあるボタンを押すと、ポヨンッとケーブルが現れて配線がビジュアル化されます。

ケーブルの「たわみ」まで再現したデザインはスキューモーフィズム的で、現実の手触りを大切にしていることが伺えます。この設計はメニュー選択と比べると素早さでは劣るわけですが、それより直感性や親しみやすさを重視することをFLは選んだわけですね。
まとめ
ヴァーチャル世界であるDAWにおいて、ケーブルは見えない存在と化しています。でもいくらUI上見えなくなったとて、音波を処理するソフトである以上、そこには「配線」や「信号の流れ」が存在しているわけです。ややこしいと感じたら、今回図示したように配線を紙に書き出して整理してみるのもひとつの手ですね。
サイドチェインには今回紹介した使い方以外にも様々な利用法があるほか、配線にまつわるシステムは他にも「センド&リターン」「VCAフェーダー」など色々とあります。いずれの場合も、“見えないケーブル”の存在を意識してあげると理解が捗るはずです。
【UI/UXから学ぶDAW論】 バックナンバー
第1回:忍び寄る多機能主義
https://blogs.soundmain.net/7618/
第2回:レシピと全体図
https://blogs.soundmain.net/8260/
第3回:直感と“慣用句”
https://blogs.soundmain.net/9079/
第4回:モードと“バネ式”
https://blogs.soundmain.net/9858/
第5回:「イベント式」と「クリップ式」
https://blogs.soundmain.net/10698/
第6回:ハコの“分身”と「パターン式」
https://blogs.soundmain.net/11176/
第7回:プラグインとウィンドウ
https://blogs.soundmain.net/12250/
第8回:ミキサーとルーティング
https://blogs.soundmain.net/12968/
著者プロフィール
吉松悠太(Yuta Yoshimatsu)
サウンド・GUIデザイナー/プログラマー、ピクセルアーティスト、音楽理論家。慶應義塾大学SFC卒業。在学中に音楽理論の情報サイト「SONIQA」を開設。2018年に「SoundQuest」としてリニューアルし、ポピュラー音楽のための新しい理論体系「自由派音楽理論」を提唱する。またPlugmon名義でソフトウェアシンセのカスタムGUIやウェイブテーブル、サウンドライブラリをリリースしている。2021年にはu-he Hive 2の公式代替スキンを担当。
Twitter : https://twitter.com/soundquest_jp/ , https://twitter.com/plugmon_jp/
Website : https://soundquest.jp/ , https://plugmon.jp/