
清 竜人インタビュー 音楽文化の発展に不可欠な権利意識・「作品ファースト」で長く活動を続ける秘訣を訊いた
既存楽曲のカバーを動画サイトなどにアップする「歌ってみた」は、今や新たなスターの誕生や名曲の掘り起こしにもつながる重要な文化だ。しかしインターネット上にあるものすべてが権利をクリアにされているわけではない。そもそも、そこには誰の、どういった権利が関わっているのか、明確に理解している人がどれだけいるだろう。
音楽クリエイター・音楽ファンの中には先日、シンガーソングライターで多数の楽曲提供も手がける清 竜人が、自身が作曲した楽曲のVTuberによるカバー動画に触れつつ「著作権」や「同一性保持権」について言及を行った一件を覚えている方も多いだろう。当該ツイートおよびそれに言及するツイートも含めると、総「いいね」数は1万を超える勢いを見せ、このトピックへの潜在的な関心がそれほど高かったことを窺わせる。
当サービスSoundmainは、ブロックチェーン技術を用いて音楽著作権周りの処理を円滑に行う仕組みを作るべく開発を進めている。その観点から、今回の一件はさらに掘り下げて考えるべきものと感じ、当事者である清 竜人へとインタビューを打診。音楽著作権への認識を深める一助になればとの思いで発信を行った清 竜人サイドからは、即座に快諾のご連絡をいただいた。
以下に掲載するのは何よりも音楽文化全体の発展を願ういちクリエイターの、音楽に関わるすべての人に向けたメッセージである。個性的なパフォーマーである清 竜人の活動の背後にある思考についても掘り下げているので、彼の人となりを知る上でもぜひ、最後までご一読いただければ幸いだ。
新しい業界の人やアーティストほど、著作権について知ってほしい
今回の発信をされた経緯ですが、先方からアレンジ許諾の連絡が清さんのところに来なかったということが最初のきっかけとしてあったのでしょうか。
はい。私が今回の楽曲の著作権を譲渡している音楽出版社に対して連絡がなかったので、私自身も知りえなかったというところが端緒となっています。音楽業界の慣習として、お仕事としてある程度のスケールでやっているアーティストやシンガーの方が他の著作者の作品を利用してカバーやアレンジをする際には、基本的には音楽出版社にまず申請をして、著作者に連絡が行くという通例が存在しているんですけど、それが今回はなかったということですね。私の推察の部分もあるんですが、今回歌っていただいたようなVTuberの業界など、ある種新興の、最近盛り上がってきている業界はそもそも慣習が違うということもあるのかなとは思っているんですけど。
清さんの楽曲がこういう風にカバーされるということはこれまでもあったと思うのですが、今回のケースにおいて特にSNS上で言及されたのは、やはり影響力が大きい人だからといったところでしょうか。
そうですね。YouTubeの登録者数も20万人を超えている、普通の一般人というレベルではないのかなというスケールの方だったので。同じようなケースで過去に問題になったこともあるし、不快に思う著作者なり権利者がいらっしゃる可能性もゼロではないから、一応リスクヘッジとして、許諾申請したらほとんどの場合OKが出るので、申請だけはしておいたほうが安心じゃないかな、と伝えたかったところがありました。
メッセージでもその後に続くリプライでも丁寧にご説明したつもりではあるんですけど、大前提として私自身は今回の件で権利侵害されたとは思っていないし、彼女自身というか、アーティストの方を貶めるつもりも全くなくて。単純に音楽業界の慣わしとして、あとは法的な解釈としても、リスクヘッジとして許諾申請は行っておいたほうが安心かもしれませんよというところをメッセージとして発信することで、我々当事者はもちろん、この業界に注目されている一般の方々に対して、著作権というものに関しての関心度だったり、リテラシーだったりを少しでも底上げできるきっかけになればいいなというところが今回の趣旨でした。
想像していた以上にスケールも大きくなってしまったし、おそらく私がメッセージを発信したことで、先方も少し面食らわれてしまった部分があって、そこは少し申し訳ないとも思うんですけど……ただミクロじゃなくマクロで見たときに、やはりこういった何かしらのトピックがないと、誤った業界のリテラシーや、世間の人たちの周知にパラダイムシフトが起こらないというのは現実だと思うので。前向きに進めばいいなと思っています。
当該ツイートを拝見すると、「著作者の許諾を得てからの方が安心かも」という書き方をされていますよね。(著作者から権利を譲渡または管理委託されている)「著作権者」と書かないことによって、最初のツイートだけを見ると清さんご自身が「もし連絡があったとしても」認めないと言っているようにも見える部分があると思うんです。過去には「大地讃頌事件」という事件もありましたが……
「大地讃頌事件」の解説(骨董通り法律事務所)
https://www.kottolaw.com/column/000577.html
※骨董通り法律事務所は、著作権法を専門とする弁護士として著名な福井健策氏が代表を務める、「芸術活動を支援する法律事務所」。
この事件の当該楽曲は現代(クラシック)音楽ということもあって直接JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会、以下「JASRAC」)に管理委託をしていて、音楽出版社を噛ませていない案件だったからこそ余計こじれたところもあったんじゃないかと思います。ポップスだとだいたいの著作権契約は音楽出版社を介して行われることが多く、かつ基本的にJASRACは編曲権は管理していません。よって音楽出版社に編曲権が残る(=音楽出版社が編曲権の権利者となる)ケースがほとんどなのですが、この事件以降、カバーアレンジの際には音楽出版社への許諾申請をするということが改めて通例になったと認識しています。
今回の対応についてこの機会に補足させていただくと、ワンツイートであまり細かく著作権のことや著作隣接権のことをご説明するのは難しかったのと、一応その楽曲の著作者は私自身であったので、「著作者の同一性保持権」にフォーカスをして最初のツイートをさせていただいたというのが実情なんです。先ほど話題にも挙がった編曲権のことや、著作者と音楽出版社との関係も問題になる可能性があるよというところは、その後のご本人とのリプライの中でも少し触れてはいるんですが、そんなに長々とご説明するような状況でもなかったのでトピックを絞ったという次第で。結果的に「著作者」という部分がフィーチャーされてしまったところはあると思いますが、編曲権を有している著作権者の権利についても、もちろん大事だと思っています。
【用語解説】
※JASRACの公式サイトなどを参考にSoundmain編集部で作成
著作権と著作隣接権
著作権は知的財産権のうち、文化的な創作物を保護する権利。文化的な創作物とは「人間の思想、感情を創作的に表現したもの」のこと(文芸、学術、美術、音楽など)で、総称して「著作物」という。また、それを創作した人が「著作者」と呼ばれる。
著作権は、人格的な利益を保護する「著作者人格権」と財産的な利益を保護する「財産権」の二つに分かれる。著作者人格権は創作者(著作者)本人に紐づき、譲渡や相続はできないものである一方、財産権は通常の財産の概念と同じように、譲渡したり相続したりすることができる。
一方の著作隣接権は、詞曲などの創作者に与えられる著作権とは別に、「著作物の伝達に重要な役割を果たしている者」に認められた権利。日本では、「実演家(パフォーマー)」「レコード製作者」「放送事業者」「有線放送事業者」に与えられている。権利は、「実演(パフォーマンス)」「レコード製作」などが行われた時点で発生する。既存楽曲をYouTubeなどでネット配信する際にも、大きく関わる権利である。
同一性保持権
著作者人格権のひとつ。他人に自分の作った作品を無断で改変されることを認めないことができる権利。著作者が曲を作った際に望んでいた方向性や雰囲気、世界観などを、編曲や歌詞の書き換えによって勝手に変えることを禁止できるというもの。
著作者と著作権者
著作者は、著作物を創作した者。音楽作品の場合、主に作詞・作曲を行った者のこと。
著作者は作品のプロモートや許諾、使用料徴収などを行ってもらうために、音楽出版社と著作権譲渡契約を結ぶケースが多い。この契約時に著作権(財産権)が音楽出版社へと譲渡され、音楽出版社が「著作権者」となる。著作者人格権は第三者に譲渡することができないので、著作権譲渡契約の締結後も著作者(作詞家・作曲家)自身が持つことになる。つまり音楽出版社が著作者から譲渡されるのは、その財産権の部分である。
著作者から音楽出版社へと譲渡された著作権(財産権)の管理は、多くの場合JASRACや株式会社NexTone(以下「NexTone」)などの著作権管理事業者が行っている。このとき、音楽出版社から管理事業者に、著作権(財産権)がさらに移っている形になる。
しかしJASRACやNexToneでは、著作権(財産権)のうち編曲権(翻案権)の管理委託を受けていない(逆に言えば、これらの権利は音楽出版社に残る)。なので編曲について許諾を行うのは、JASRACやNexToneではなく音楽出版社ということになる。
ありがとうございます。ツイートへの反応をいろいろ見るに、やはり「著作者」というのと「著作権者」というものが法律上は違うということだったり、その権利が管理団体なり音楽出版社に「移る」という仕組みだったりが、一般的に難しいところなんだろうなと感じました。ちなみに業界内においても理解が進んでいない……ということをリプライの中でおっしゃっていましたが、具体的にどういったことなのでしょう。
これは話し始めるときりがないんですけど……例えばインタラクティブ配信に関してだったり、最近だとYouTubeでの収益化だったりに関して、仕組みを理解している側ほど損をしてしまうという状況が少なくなくて。
実は自分も2020年からYouTubeにカバー動画を上げるシリーズを続けていて、自作曲のセルフカバー以外はすべての楽曲について音楽出版社に許諾を取っているんです。
でも、そこで許可が下りないケースというのが結構あるんですよ。詳細に理由を教えてもらえないので推測も含まれるんですけど、例えばカバーを許諾することでオリジナルが新たに数万枚売れることが見込まれるようなアーティストだったらOKを出そうとか、逆にこれぐらいの規模感のあるアーティストだったら許諾を出すことでオリジナルが食われてしまうからNGを出そうとか、そういう判断基準になってしまっている部分もなきにしもあらずなのかなと感じます。実際に私が音楽出版社にカバー申請を出してNGが出たものを、ある程度の規模感のある人が普通にカバー動画としてYouTubeにアップしていたりするので。私はある種、馬鹿真面目に申請しているからNGが出てしまうという……藪蛇の部分があります。でも、カバーする人のアーティストとしての規模感って、本来ならば権利と全く関係ない話じゃないですか。
あと、たまに音楽出版社から「YouTubeにカバー動画を上げるのはいいけど、マネタイズはなしにしてください」と言われたりするんですけど、マネタイズの権利ってそもそも音楽出版社が有していないので、そんなことを言われるのは本来お門違いなんです。言えるとしたら配信利用についての管理を委託されているJASRACやNexToneなどの団体が、著作権(財産権)を理由に言えるという話で……でも編曲権を持っているのは音楽出版社だから、理由づけとしては変なんだけど、(編曲の許諾条件を理由に)駄目って言われたら飲み込むしかないということがあったりするんですよ。
なるほど……。
話を戻すと、ともあれほとんどのケースにおいて音楽出版社が編曲権を有していて、著作者が同一性保持権を有しているという形になっている。そして同一性保持権に関してはボーダーラインが曖昧な部分があるので、リスクヘッジという意味合いで許諾申請をしておいたほうがいいよね、ということを今回の件ではお伝えしたかったというわけです。
あと付け加えておくと、こういった権利周りにはいわゆる裏方の方々の認識だけじゃなくて、アーティスト側の問題もあるなと思っていて……。これは私自身の捉え方ですけど、アーティストってやはりある種、夢を買われる仕事だと思うんです。極端な話、自分が音楽を作ってその音楽がレコード会社からリリースされて世の中に広まっていくというそれだけで、この仕事のやりがいがあるんですよ。
つまりお金じゃないところの価値がありすぎて、お金の部分に関してまったく執着をしないというアーティストが少なからずいて。そこをある種利用される……と言うとちょっとトゲがありますけど、そこに完全に目をつぶっているからこそ、なすがままにレーベル側とか、音楽出版社側の提示するものに首肯してしまっているという部分があると思うんです。だからこそ特に影響力があるアーティストほど、そこに対して疑問を持つことが今後の音楽界にとってすごく大事なことだなと。我々アーティスト自身、ミュージシャン自身のリテラシーを底上げしていくことも、すごく大事なことだと思っています。
グレーゾーンな部分も大きい「同一性保持権」と「編曲権」
清さんが著作権について考えを深めるきっかけになった出来事などはあったのでしょうか。
5,6年ほど前に、自分自身の契約更改のことだったり、著作権契約の満了だったりがちょうど重なった時期があって。その辺りからもう少し踏み込んで、自分が置かれている立場だったり、自分が有している権利のことをちょっと精査しようと思い立って、個人的にリサーチを始めたり、著作権を専門にされている弁護士の方とコミュニケーションをとったりするようになって、少しずつ理解を深めていきました。
同一性保持権についてはいかがでしょうか。著作者人格権と言われる権利の一部だけあって、著作権よりもさらに個人差や「場合による」という側面が大きいですよね。
おっしゃるように同一性保持権ってある種グラデーションというか、ボーダーラインが正確に決まっているわけではないんです。「編曲」のボーダーについては過去に「記念樹事件」と言われる事件の裁判で「新たな創作的表現」が加わっているかどうかが判断基準になるという記載が残ってはいるんですけど、これにもいろいろな解釈があって、「新たな創作的表現」ってどんなものなの、どこからそれは認められるのというボーダーラインは、明確に判例として残っているわけではないんですね。
「記念樹事件」の解説(骨董通り法律事務所)
https://www.kottolaw.com/column/000051.html
実際にはほとんどのケースにおいて、著作者や著作権者、編曲権者が問題にしたり不快に思ったりすることはないと思います。かつ、このご時世YouTubeをはじめとしたプラットフォームが数限りなくある中で、いわゆるお仕事として音楽をやっていない一般の方々のカバーって、山ほど上がっているじゃないですか。それらをいちいち全て権利者に申し合わせるなんて非現実的極まりない話で……だからこそ現実と規則が乖離してしまっている部分も少なからずあると思うんですけど。
ですので、繰り返しになりますが、今回の件も、そうやってそれぞれ解釈が異なる可能性があるからこそ、リスクヘッジとして編曲権を持っている著作権者と、同一性保持権を有している著作者に許諾申請しておく方が安心かもねという話だったんです。
清さん自身がこういうカバーだったら嬉しいなとか、逆に自分自身が他の方のカバーをするときに、どういう自分流のアレンジを加えるかといったボーダーラインをお聞きしてもよろしいですか。
著作者、つまりクリエイターは誰しも多かれ少なかれそうだと思うんですが、やはり自分が作った曲を誰かがいいと思ってくれて、自分も歌ってみたい、カバーしてみたいと思ってくれるって、ひとつ冥利に尽きることなんですね。大前提としてすごく嬉しいし光栄なことで、だから私自身も基本的に問題ないと思っているんですけれども。
その上でやはり歌詞やメロディーラインを著しく変えるとか、それは歌い間違いってレベルじゃないよねということに関して、やはりこれはさすがに心配になるよねという共通認識はこの業界にもあると思うんです。法律家の方々の認識としてもあると思うんですけど、なんとなく共通認識として出来上がっているだけで、実際に判例が伴っているわけではない。
私自身の人間的な感覚で言うと、編曲権者並びに著作者への申請をせずに、著しく歌詞や構成、メロディーを著しく変えたりしているのを見かけたら、著しい侵害だなとは感じると思います。
通称「森のくまさん事件」と言われている、パーマ大佐さんというお笑い芸人の方が作詞家の方に問題提起をされて、折衝があったという例もありましたけど、例えば私の曲が、本当に元と全然違うような形で、歌詞も全く違う、メロディーもちょっと変わってしまっているみたいな形でいきなりテレビで流れていたら、一応主張はするかなと思いますね。
「森のくまさん事件」の解説(骨董通り法律事務所)
https://www.kottolaw.com/column/001413.html
清さんは作詞・作曲だけでなく編曲も手がけられますが、ご自身の編曲権についてはどうお考えですか。
よく議論されることですが、いわゆる業界で広く認識されている「編曲」という概念と、法的なそれとのラインには齟齬があるという話があります。先ほどお話ししたように、「新たな創作的表現」がなされたというのが法的な「編曲」に当たるんですけど、じゃあ「新たな創作的表現」というのがどこからなのかというのはルールが定まっていない。音楽業界内での「編曲」は、メロディーに対してのサウンドアレンジみたいなところで捉えられている部分がありますが、法律的な観点から、編曲もメロディーに対する「新たな創作的な表現」だろう、という考え方をお持ちの法律家の方もいて。結局、それぞれの解釈になっちゃうよねというのが実情だと思います。
あくまで私個人の考えとして言えば……ポップスの場合もちろん、メロディーと歌詞があってこそなんですけど、特に昨今の制作においては、それを彩るサウンドアレンジがものすごく大きな役割を占めているし、楽曲を構成する大きな要素だと思うんですね。だからそれがある種、全く違う音になってしまったりとか、同じような音階をなぞっていたとしても、著しく印象が変わってしまうという部分に関しては、編曲権に抵触するという考え方でもいいんじゃないかなと思っていますね。それぐらい編曲というものが、メロディーや歌詞に与えるイメージは大きいと思うので。それを「新たな創作的表現」というところに少しクロスオーバーするという考え方でもいいんじゃないかなと。
今年の元日から改正著作権法も施行されましたけど、実態に合わせて柔軟に法解釈や法整備も行っていくべきなのかなと感じますね。