2022.03.16

針原 翼(はりーP)インタビュー ライブハウスシーンとボカロの交点で育まれた音楽への思い

昨今のデジタル環境の進展は、個人制作のDTMでどこまでも理想のサウンドを追求できるようにした一方で、音楽家としての個人の「ドメイン(領域)」をいかに運用していくかという観点を、すべてのクリエイターにとって必要不可欠なものにしたとも言えます。当ブログを運営するSoundmainはそんな時代に、「音楽をつくり、届ける」プロセス全体をテクノロジーにより支援することを目的として、開発中のプラットフォームでもあります。

そこでSoundmain編集部は、音楽・アートなどについて学べる私塾・美学校にて 「実践!自己プロデュースと作品づくり」 の講師を担当する、入江陽さんをインタビュアーに迎えたシリーズを企画。本人名義のシンガーソングライターとしての活動をはじめ、今泉力哉監督『街の上で』などの劇伴制作、ボーカロイド関連のゲームに音楽監修として携わるなどまさに自身の「ドメイン」を多角的に運用されている入江さんと一緒に、様々な音楽クリエイターの皆さんにお話を伺っていきます。

今回お話を伺ったのは針原翼(はりーP)さん。2011年のボカロPデビュー当初から、当時としては珍しい生のバンドサウンドをフィーチャーした楽曲で注目を集め、現在は下北沢のレコーディングスタジオ「Evergreen Leland Studio」およびリハーサルスタジオ「LANDRUTH music studio」の運営を行うほか、盟友のkoyori(電ポルP)さんとともにボーカリスト・セツコさんを迎えた「空白ごっこ」の活動でも注目を集めています。バーチャルな側面が注目されがちなボカロPの活動にあってリアルなライブシーンに根づいた価値観を大切にする針原さん。そこには音楽の道を志すまでの紆余曲折と、ある歴史的な出来事に直面した際の偶然の出会いがありました。音楽と人生は複雑に絡み合っている。そんなことを改めて感じさせてくれるインタビューです。

※インタビューは2021年秋、Evergreen Leland Studioにて行われました。

空白ごっこ「ラストストロウ」MV(TVアニメ『プラチナエンド』2ndシリーズEDテーマ)

音楽の街・下北沢という「フッド」

入江陽(以下、入江) 最初に音楽を好きになったきっかけって覚えていますか?

針原翼(以下、針原) 両親や親類が音楽好きだったんです。父は趣味でドラムをやっていて、母も音楽を聴くのが好きで。おじさんもフォーク世代だったので、中一くらいの時にギターをくれて。吉田拓郎は父もめちゃくちゃ好きで、車でもよくかかっていたし、アリス、チューリップ、フォークじゃないけどゴダイゴとか……その辺りをめちゃくちゃ聴いて育ちました。

入江 その頃から曲作りはされていましたか?

針原 中学生の時にはもう作詞作曲も好きで始めていて。やっぱり拓郎さんとか、フォーク世代の人にすごく影響を受けたんです。自分のことを恥ずかしげもなく短い詩にしていて、今風に言うと「エモいな!」と。

入江 確かに針原さんの楽曲からは、フォーク的な美意識に基づいた素朴さ、真摯さを感じるかもしれません! その後、打ち込みでの音楽制作を始めたのはいつ頃ですか?

針原 高校に入ってからですね。3年間バイトしながらずっとバンドをやっていて。軽音部はなかったんですけど、僕の代で作ったんですよ。でも、オリジナルをやろうって言うと、みんな全然やりたがらない(笑)。ベースとかドラムとか、どうやったらいいかわかんない、みたいな。それでドラムとかも自分で打ち込むようになったんですよね、AKAIのMPCを使って。

入江 カヴァーをやるのとオリジナルを作ることの間には、少しハードルがありますよね。

針原 そうですね。で、その次に持ったのが、RolandのMC-202というシーケンサーで。僕は全然鍵盤が弾けないので、そのアルペジエーターを使ってフレーズを作って、MPCに同期して……そういう感じで作曲していましたね。

入江 録音には何を使っていましたか?

針原 Rolandとか、KORGの、4トラックくらいのMTRです。弾けるから、どうしてもギターから先に入れちゃうんですよね。気づくと同じような曲ばっかり作っちゃってました。Queenとか、ああいう多重録音をしている昔のバンドの曲を聴いて、真似してみようと。

入江 自分もMTRを使っていました。懐かしい……! その頃から音楽の道に進みたいという気持ちは強かったのでしょうか?

針原 当時は京都・大阪にいたんですけど、東京への憧れがすごくあって。でも、通っていたのが進学校だったんですよ。「音楽の専門学校に行きたいから大学の推薦ももらわない!」みたいなことを言って……親には迷惑かけましたね(笑)。

それで結局、大阪の音楽専門学校に入ったんですけど、4ヶ月くらい通って全然満足できなくて。今思えばすごい偏見なんですけど、自分の本気度に比べて、周りは遊びで来てるように見えて。大学に行かず、無理を言って通わせてもらった専門学校だったので……よりショックを受けてしまって。

入江 それは親御さんにも言いづらいでしょうね……。

針原 それで、僕、家出して東京に出てきたんですよ(笑)。「連絡しないでください」と置き手紙をして。で、東京に出てきて、友達の家に居候して……日雇いのバイトとかして、お金を貯めて。そこでようやく、「こっちで家借りたいから、承諾だけして下さい」みたいに実家に連絡して。

入江 ドラマチックですね……! 本気だ、と感じます。

針原 親からしたら最悪ですよね(笑)。今だから笑って言えますけど。もう、勝手にしやがれみたいな感じだったと思います。で、その後も2年くらいは連絡もせず。だからこそもう、絶対負けられないみたいな気持ちになって。音楽人生で一番、ハングリー精神があったというか……あの時があったから今もあるというのはすごく思いますね。

入江 ちなみにご両親とは、今は?

針原 仲良いですよ。まあ、遅咲きやったなあ、みたいな(笑)。一応、生業になっているということで、今は認めてくれています。

入江 素敵な関係ですね。東京に出て来られたばかりの頃、印象に残っている出来事はありますか?

針原 やっぱり、下北沢にすごい憧れがあったので、実際にライブハウスに行って、演奏を観て、そのレベルに感動したんですよね。今自分が構えているこのスタジオは、かつてあった「TRITONE」というスタジオの居抜きで。下北沢CLUB 251というライブハウスの姉妹店だったんですよね。学生時代に一番好きだったBUMP OF CHICKENがインディーズ時代によく出演していたという場所でもあるので、東京に出てきてすぐのときはよく通っていました。

震災との直面、そしてボカロPへ

入江 当時通っていたライブハウスやスタジオを拠点にしているなんて、本当にすごいことだと思います! その後、ボカロとの出会いはいつ頃ですか?

針原 初音ミクが2007年に出るじゃないですか。当時はバンド活動の傍ら、楽器屋でバイトしてて。初音ミクは、ギター担当だったので部署は違ったけど、発売の時にもポスターを貼ったし、存在は知っていて。でも結局、使うことになったのは流行ってからですね。

入江 何かきっかけがあったのでしょうか。

針原 当時バンドのアルバムを作っていて、結構いいところから出せそうという話があって。2010年後半からレコーディングも佳境で2011年に出そうってなったんですけど……東日本大震災があったわけですよね。3月のあの日は、ちょうど代官山のビクタースタジオでそのアルバムのマスタリングをやっていて。

入江 ああ……。

針原 もう、しっちゃかめっちゃかになっちゃって。機材は動いていたので、その日はやり切っちゃおう、となったんですけど……やっぱり結構悲惨な感じで。歩いてトボトボ、下北沢に帰ったのを覚えてます。結局マスタリングも別日に調整したり、2ヶ月後に決まっていた発売も延期になって。幸いなことに8月にアルバムは出たんですけど……その空いた3ヶ月くらいの間に、バンドの曲をボカロでやりだしたという経緯です。決まっていたツアーも延期になっちゃったし、やることがなくて。

入江 震災が大きなきっかけになったわけですね。

針原 大きいですね。バンドのレコーディングも終わってたし、そのバンドのドラムの音源を使って、ベースやギターはピッチを上げ、バンドの音源にはないけどピアノを新たに足して。

入江 曲のキーをミクに合わせるわけですね。

針原 そう、「EARTH DAY」「HEAVEN」「東京キャスター」などの曲を2012年にMV付きで出すんですけど、もともとバンドであった曲なんですよね。で、結果的になんですけど、生ドラムを使ったボカロ曲というのは、当時としては早かったんですよ。それで「バンド感のあるボカロP」みたいな感じで認知されることになって。

やり始めた時には、やはりそういう志向性のあるボカロPで、buzzGさんやみきとPさんがいろいろ教えてくれました。お二人とも当時はご近所に住んでいたこともあり、めちゃくちゃ仲良くしてもらっていて。

入江 バンド時代とはまた違う、新しいコミュニティができたわけですね。

針原 そうですね。ボカロ周りで出来た友達(先輩)としては一番関係が長いです。きっと波長が合ったんですよね。バンドというのはもちろん素晴らしいものなんですけど、メンバー間にはどうしても温度差がある。メンバーは好きだし、信頼もしているけど、やっぱり自分がリーダーだから責任感がある。一方、ボカロPは一人バンドみたいな感じで。

入江 バンドメンバーというのは、良くも悪くも特殊な人間関係ですよね。

針原 ボカロPはその点、基本ソロでやっていますよね。ひとりで責任を全部請け負っている。buzzGさんやみきとPさんとの交流を通じて、努力した結果が全部自分に返ってくるという考え方を知って、それが自分にもフィットしたんです。それでバンドも両立しつつ、どんどんボカロ中心になっていきましたね。

ボカロを通して見える生演奏・ボーカルの特性

入江 ボカロでの制作を始めてから、人が歌うのと違って印象的だった点はありますか?

針原 そうですね……いかに感情が宿っているようにするか、言霊のこもっているような感じにするか、そういうことは目指していましたね。一緒にやっていたエンジニアとも、どうしたらもっとそう伝わるかなと考えて。

入江 曲を聴いていて思ったのが、ボカロの調声にナチュラルで繊細な歌心を感じるなあと。針原さんが歌唱されているバージョンとの聞き比べも、とても楽しかったです。

楽曲「東京キャスター」の初音ミク ver.

楽曲「東京キャスター」のROZEO EMBLEM(針原さんボーカルのバンド) ver.

針原 ミクを扱う際にエディターでそのままやると、色が付き過ぎちゃうというか、人の声との違いが出やすいんですけど、波形にすると、人の声と扱いとしては一緒になるんです。だから波形にしてからのミックス作業で追い込んでいく形ですね。

入江 生ドラムとボカロが自然にグルーヴしているのが、新鮮で面白かったです。まさに「歌っている」という感じで。

針原 ありがとうございます。ボカロってやっぱり、どうしてもリズムとかはノーツというか、マス目……8分で打ったら8分にきっちり入った感じになりがちなんです。でも、実際の声で歌うメロディって、引っ張ったり、逆に後ろで歌うとかもありますよね。そういうのは意識して入れ込んでいます。

入江 逆にボカロを使うようになって、生のボーカルとの向き合い方が変わった面はありますか?

針原 すごくありますね。ボカロばかりやってると、「ミクがこんなに頑張ってるんだから、人間ももっと頑張れよ!」と、人間の声に厳しくなるというか(笑)。一方で「歌ってみた」のように、ミクを介して出会ったシンガーたちというのもいて。そうやって何人かプロデュースもさせていただく機会もある中で、セツコというシンガーに出会い、電ポルPという名前でボカロPもやっているkoyori君と僕、彼女の3人で「空白ごっこ」を今やっている感じです。

空白ごっこ、最初期の楽曲「なつ」のMV

小説執筆・スタジオ経営……広がる活動

入江 小説も出版されていますよね。これはどんな流れで書くことになったんでしょうか?

針原 koyori君と2012年くらいに出会ってからしばらくして、最初は彼に小説の話がきて。自分もやってみたいなと思いつつ、彼の小説の発表イベントに友達としてついて行ったら、出版社の人が「針原さんも書きますか?」ってポロッと言ってくれて、まあトントンと。

入江 小説を書いたことで、作詞への影響はありましたか?

針原 ありましたね。何が変わったかというと……「もっと人のためになろう」と思ったんです。それまではとにかく泣かせよう、みたいな意識があった。そこをもっと寄り添う歌詞にしようと心がけるようになりました。ひとりひとりに、「自分自身のことをもっと深く考えてみよう」と呼びかけるみたいに。

入江 まとまった文章をストーリーとして書くことを経験してから、少し視点が変わったということでしょうか。

針原 そうですね。そもそも小説を書こうと思ったのも、そういうことをやりたかったというか。

入江 スタジオを立ち上げた経緯についても詳しく伺えますでしょうか。

針原 スタジオを作ったのは、小説を書いたすぐ後(2017年の1月)ですね。2016年は、ここを立ち上げるために奔走してました。

入江 ずっと前から、スタジオをやりたい気持ちはあったんですか?

針原 2016年の初めに「前のオーナーが辞めちゃうから、場所の継ぎ手はいないか?」みたいな話をしていて。他に話がいく前に、「誰かやらない?」となったところで手を挙げたんです。

でも、やっぱりいろいろと大変でしたね。下北沢駅から徒歩1分の立地にあるビルを30歳とかそこらで、普通は借りられない。保証金だけで何百万みたいな額だし、お金があっても、経営していけるのか? という問題もあるし。保証会社とか、銀行とか、管理会社、賃貸……前オーナーが各所に「こいつらならイキがいいんで」みたいに紹介してくれたので、助かりました。

ビルの2Fにレコーディングスタジオ(Evergreen Leland Studio)、1Fにリハーサルスタジオ(LANDRUTH music studio)を構える。写真はLANDRUTH music studioの受付。

入江 スタジオの運営を始めてから、制作面にも影響はありましたか?

針原 やっぱり家で作業しなくなったので、家に帰らなくなったというか(笑)。もう家には寝に帰るだけになっちゃいましたね。

入江 じゃあ、楽しんで働いてっていう……勝手に、良いように言っていますけど(笑)。

針原 まあ、楽しいからやってるというのはあると思います(笑)。でも、本当に苦しかったですよ、特にこのコロナの時期は。下の階のスタジオは、普通の街のリハーサルスタジオですけど、ライブが全部止まっちゃったから……

入江 そうか、ライブがあるからこそ、リハーサルスタジオで練習するわけですもんね。

針原 休業要請も長引いてしまって、下北沢のライブハウスもみんな大変そうでした。「何しよう? 配信ライブ?」みたいな……。なので、いっそ「攻め」の姿勢で行こうと思って、ライブハウスと協力してエフェクターのブランドを立ち上げることにしたんです。

「Kitazawa Effecter」のポスター。下北沢の名だたるライブハウスの協力のもとこだわりの音色を作り上げた。

入江 震災に続いて、今度はコロナがきっかけになったわけですね。

針原 知り合いで、楽器屋からエフェクター制作に独立した先輩に声をかけて。一緒に作ってくれと。で、コロナで営業が縮小しているライブハウスに声をかけて、下北沢のエフェクターを作る企画を超真剣に説明して。

入江 ライブハウスの名前がモチーフになったエフェクターなので、ライブをやる時にそのハコのエフェクターを踏んだら楽しそうだし、逆に違うのを踏んでも面白そうだし(笑)。応援として買うのもアリだし、インテリアにもなりますよね。

針原 このタイミングじゃなかったらできなかったことですね。同じライブハウスとは言っても、本来は競合ですから(笑)。演者として出ていた僕らが声をかけた、っていうのも良かったのかも知れませんね。ちなみにライブハウスの選出は、15年以上やってる老舗の中から、って感じです。

入江 エフェクターの音作りはどんな感じで進めていったんでしょう?

針原 そこは各ライブハウスのスタッフと話し合って。代表も店長もアルバイトさんもみんな話しましたね。僕も楽器店員だったので、こういうのがいいと思いますよ、と意見を出したりして。一方で演者でもあったので、例えば「下北沢SHELTERはこういう音だろう」みたいなことを言っても説得力があるし。試作品を各ライブハウスで試し弾きしてもらって、決めていく感じでしたね。

下北沢SHELTERバージョンのエフェクター。「SHELTER」の大きな文字が目を惹く。

入江 多岐にわたる活動をされていますが、こうしてストーリーとして伺うと一本の線につながりますね。

針原 僕の人生をまるまる話してますね(笑)。まあ、音楽しかやってないです、本当に。下北沢という場所の存在も大きいですね。音楽をやってて正解といえる街なので。

入江 最後に告知や、今後こういう音楽を作っていきたい、などあればお聞かせください。

針原 空白ごっこは、今一番活動的というか、人目に触れる活動になってるので、注目してほしいですね。ボカロPとしては、楽曲提供で色々と書き下ろしをしていますし、そちらも注目してくれると嬉しいです。

『プロジェクトセカイ カラフルステージ!feat.初音ミク』書き下ろし提供楽曲「STAGE OF SEKAI」

おまけ:生音の録音にトライしてみたいDTMerへのアドバイス

Soundmain DTMネイティブの人には、生っぽい音をうまく作れないという悩みを持ってる人もいるんじゃないかと思うんです。もし何かアドバイスがあればお聞きしたいなと。

針原 何でもいいから、アコースティックの楽器を触ってみるのはプラスになると思います。ストリートに置いてあるアップライトピアノとかでもいいんです。音の発生源が広がって、響きになって、和音になる感覚を体感してみる。空気で音に触れるというか……そこで身に着いた音の強弱の感覚を、打ち込みの時に「ベロシティにこういう差をつけよう」といったところで、活かすことができる。限界まで小さい音、できるだけ大きい音、そのそれぞれの響きを実際に演奏して感じてほしいですね。DTMは視覚的な作業ですけど、指先の強さや聴覚的なダイナミクスを経験することで、DTM上の操作にも影響があると思います。

入江 自然な音の響きに関する運動神経をインストールしていくというか。

針原 音質だけで言ったら、今ではソフト音源でも普通にクオリティが高いですからね。でもそこで、生音の持つ強弱、振り幅をわかってる人とわかっていない人の間では、同じソフト音源でも、全然扱い方が変わってくると思います。管楽器なんかわかりやすいですよね。わかってない人が打ち込むと、のっぺりと均一になりますけど、一流のサックスプレイヤーは、まさに歌い込むように吹きますから。聴こえるか聴こえないか・100かゼロかじゃなくて、ゼロから100までの振り幅をどれだけ使えているのか? と考えられるようになると強みになると思います。

Soundmain DTMをやる人が生楽器を録音して取り入れたいと思った際に、意識すべきこともあれば教えていただけると嬉しいです。

針原 そうですね……コンデンサーマイクが一個いいのあれば、自宅でもそれなりの音では録れちゃうんですけど。録音環境よりも、まずは「いいテイク」なんですよ。生演奏って、どれだけ環境が悪くても、いいテイクさえ録ってれば、ノイズとかが入っていてもカッコいいんです。「いいテイク」、「いいマイク」、そして最後に「いい編集」。もちろん綺麗に録音できれば、それに越したことはないです。ただ、その順序さえあれば、たとえiPhoneの内蔵マイクしかなくても、後はちょっとした編集やEQの技術とかで何とかなる。いいマイクを買ったって、いいテイクを録れなきゃ……という順番をまず頭に入れてから、生楽器に挑戦して。その順番は守りましょう、という感じですかね。

Soundmain 「いいテイク」って、具体的にはどういうものなんでしょう。

針原 「上手い」んじゃないんですよ。カッコいい、グッとくるというか。自分が目指している音、「これだ!」と思える音であることが大事。限られた機材、限られた環境でいかに良いテイクを録れるか……それを積み重ねてきた経験からのアドバイスと思っていただけたらと思います。

構成:関取 大(Soundmain編集部)

針原 翼 プロフィール

作詞 作曲・プロデュース
自身のロックバンド、ROZEO EMBLEMの活動と並行しながら、VOCALOIDを使用した楽曲を制作をする。
2012年に動画投稿サイトへ投稿したVOCALOID楽曲「ぼくらのレットイットビー」がヒット。その後も覚えやすくキャッチーなメロディーを中心とした楽曲が評価を得る。
2015年には小説『ぼくらは、そっとキスをした』で作家デビューをした。
2017年、初音ミク10周年イベントにて「TODAY THE FUTURE」公式テーマソングを発表。
2019年12月より、シンガーソングライターおよびボーカリストのセツコ、ソングライター koyoriと共に「空白ごっこ」を結成。
レコーディング時のディレクションやボーカリゼーション技術に定評がある。
楽曲提供、プロデュースも国内外を問わず精力的に行なっている。
代表作「ぼくらのレットイットビー」「泥中に咲く」など。

入江 陽 プロフィール

いりえ・よう:1987年うまれ、新大久保うまれ・育ち。シンガーソングライター。映画音楽も制作し、近作は『街の上で』『最低。』『タイトル、拒絶』など。雑誌『装苑』『ミュージック・マガジン』では連載も。