2022.03.09

牛尾憲輔インタビュー アニメ『平家物語』の音楽を支える「コンセプチュアルな思考」のプロセスに迫る

湯浅政明、白石和彌、沖田修一、山田尚子……気鋭の映像作家が送る作品の音楽を次々と手がけ、ソロ名義・agraphでも先鋭的な電子音楽作品を発表する牛尾憲輔さんに、今回インタビューの機会を得ることができた。

最新作は2022年1月よりフジテレビ系「+Ultra」枠で放送中のテレビアニメ『平家物語』(山田尚子監督・サイエンスSARU制作)。山田監督とのタッグは『映画 聲の形』『リズと青い鳥』という2作の劇場公開作品に続き、3作目となる。物語や世界観を(時には物理学や数学の言語も用いて!)抽象的なレベルで共有し制作に入っていくという手法は、今回も健在。しかしながら劇場作品と異なり「オートクチュールではない」(牛尾さん談)テレビシリーズ音楽の特性上、異なる発想も求められたとのこと。西洋楽器とは異なる響きを持つ和楽器とのコラボレーションも、新しい挑戦となったという。

アニメ『平家物語』PV

ソニーが開発を進めるAI作曲支援システム「Flow Machine」のアドバイザーを務めるなど、テクノロジーとの関わりも深い牛尾さん。「ソロは日常的な研究開発の場」と語り、「“響き”とは何か?」といった音楽の根本から問い直し制作にフィードバックしていくその姿勢は、日々試行錯誤する音楽クリエイターの皆さんにとっても大いに刺激になるはずだ。

※このインタビューは2021年9月よりFODにて先行独占配信されていた『平家物語』全話を視聴済のインタビュアーが行っています。人によってはネタバレに感じる情報が含まれている可能性がありますので、お読みになる際はご注意ください。

「コンセプチュアルに作る」とはどういうことか

このサイトの定番の質問なのですが、まずは音楽に触れた原体験から伺うことができればと。

実家が音楽教室で。本当に小さい、幼稚園に入る前くらいの時からお兄さんお姉さんがピアノを弾いたり、エレクトーンを弾いたりしているのを見聞きしていたのが原体験じゃないかな。最初に触った楽器はピアノですね。自分としては機械を使っているみたいでかっこよかったから、最初からエレクトーンをやりかったんですけど、親から最初はピアノを薦められて。で、小室(哲哉)ブームがあったので、ほどなくしてシンセサイザーの存在も知って。

ピアノを通ったことで、「演奏もいいな」という発想にはならなかった?

小室さんとか浅倉大介さんみたいに、たくさんの機械に囲まれたい、コックピットみたいになっているのをかっこいいと思うことはありましたけど、演奏したいというのは全然なくて。高校生ぐらいのときには電気グルーヴのライブで、ツマミをずっといじっているのを見て憧れたり。クラフトワークとかもそうですけど、電子音楽の「素人目には何をやっているかさっぱりわからないからこそのかっこよさ」ってあるじゃないですか。

現在でも身体性みたいなものを意識することはまったくないですか? 電気グルーヴのサポートもされていますし、ソロ名義でのライブでも人前に出ることはあると思いますが。

子供の頃から電子音楽しか聞いてこなかったこともあって、演奏の身体性というのは一切ないんですよね。アーティストが弾いているのは鍵盤や、あるいは他のインターフェースかもしれないけど、音を鳴らしているのは電子回路だから。自分にとっての電子音楽の魅力って、実体を伴っていないということにもあるんです。

劇伴を担当したアニメ『DEVILMAN crybaby』に合わせて行われたライブの映像

なるほど……ではここで少し質問の角度を変えさせてください。たとえばお客さんが映像作品を通じて牛尾さんの音楽を受け取るとき、ライブにおけるパフォーマーの位置に、ストーリーやキャラクターがあるとも考えられると思うんです。そういったものについてはどう思われますか?

そうだなあ。少し遠回りな説明になりますが、たとえば『リズと青い鳥』という作品があったときに、そこに出てくる2人に起こった出来事や感情と作品の本質とは、関係ないものだと僕は思っているんです。そう言い切れるのは、自分はコンセプトを作っているという意識があるからだと思う。あの作品のイデアみたいなものと、表面的に起こっている事象との関係は実は遠い。言うなれば、あれは吹奏楽部の話だけど別に文芸部の話でもいいし、極論、人が存在していなくてもいいと思っていて。今回『平家物語』でも山田さんとの間でキーワードのひとつになったのが、「ロゴスに向かわない」ということなんです。

ロゴス。論理だった順序のことですか。

そう。お話とか、意味から離れて、その本質を探っていく。もちろん結果的にはお客さんに観てもらうために作るんですけど、スタートの方向性は意味のほうを向いていないと思うんですよね。

山田尚子監督のインタビュー動画を拝見したのですが、今回は映画ではなくシリーズものだから、コンセプチュアルでありつつも楽しく作るみたいなことを意識したとおっしゃっていて。牛尾さんはどういったところに違いを感じられましたか?

アニメ『平家物語』山田尚子監督のインタビュー

『聲の形』や『リズと青い鳥』では1~2人の登場人物にしかフォーカスしていなかったですけど、今回は描かれる(作中の)時間も長いし、登場人物の数も多くて、どんどん生き死にもあって、そういう作品は初めてでした。劇伴音楽を「コンセプチュアルに作る」ということは、その作品に対して普遍的な何かを作るということなんですけど、たとえば、1人~2人にフォーカスした作品だと、その普遍が個々を貫くように作ることができるんです。でも『平家物語』みたいに大きいストーリーになると、それは難しい。ひとつのコアコンセプト単体で全てを賄うことが難しいから、最大公約数より最小公倍数みたいなものを作らないといけなくて、その作り方がちょっと違ったかもしれないと思います。

1話終わって、次の話数の中心人物が全然違う人物になる、ということも普通にある構成ですしね。

そうですね。映画って全部オートクチュール、1曲ずつ特注の曲を作っていくわけですけど、シリーズの音楽というのは色んなところで使い回せるものでないといけない。それも山田さんとの仕事という意味では、これまでと全然違った点でした。あとはテレビで流れるということで間口の広さを意識したので、相対的にわかりやすいものになっているかもしれません。

山田尚子監督のインタビューの中でもニューウェイヴっぽい曲を作ろうとか、そういった話があったとおっしゃっていましたが、「わかりやすさ」を意識する中で既存のジャンルを参照しようという考えはあったのでしょうか。

参照しよう、というより作品に寄り添おうとした結果生まれたものだと思います。「ごっこ遊び」にはしたくないんですよ。たとえば「清盛の激情」に当てる曲を作ろうという話になったときに、結果的にニューウェイヴっぽい曲になったとして、それは具体的なバンドのオマージュをやりたかったんじゃなくて、「清盛の激情」を分解して、まずは自分の血肉になっているものから作ろうとする。そういうプロセスの中で「~っぽい」というワードが出てきたということです。

なるほど。

言葉だけで知っている、みんなが知っているからという理由で「ニューウェーブっぽい」という記号性に頼るのでは決してない。出来上がったものを聴くとそう聴こえるかもしれないけど、作っている側からすると、そこに至った経路は逆なんです。

「研究開発」としてのagraph

このサイトの名前「Soundmain」にもかけて、牛尾憲輔とagraphという二つのドメイン(名義)の使い分けについてもお伺いしたいです。

牛尾憲輔の名義で世に出ている作品は、基本的にはクライアントワーク。ソロ(agraph)の音楽のほうがむしろ、日常的にずっと作っているものという感覚なんです。

じゃあなぜ作品として世に出していないかといったら、出す必要がないからなのかなと最近は思っていて。自分が聴いたことのない音楽をやりたいからやっているんですよ。

『平家物語』のED曲「unified perspective」は「agraph feat. ANI(スチャダラパー)」名義となっている

ある種の実験場というか。

そうですね。ただ、最初からクライアントワークにフィードバックする目的では作っていないです。自分がやりたいことをやりたいようにやるというのが、ソロのひとつの大きな指針かな。

自分の中のサイクルみたいなものとして、どういうときにソロの作業をするかなど決めていらっしゃいますか。

どこからどこまでが「作曲」かというのは難しいですけど、今こうしているときにも、ソロのあの曲はああしようとか、コンセプトのところをこうしようとか、サブルーチンみたいなものはずっと動いていて。常日頃からソロは作っていますが、具体的な作曲ができない時間でもソロのための音色を作ったりとかはするし、サンプルネタみたいなものを探したりもするし、プロジェクト自体は常にやっているという感じですね。

具体的には何かフォルダみたいなものに分けておいて、それをクライアントワークが来たときに「ソロのあれは使えるな」と思い出して引っ張ってくる、といったことはあるのでしょうか。

曲として引っ張ってくることはしないですね。もっと思想的な保存方法というのかな。僕のソロって、客観的に見てどんどん難しくなってきているから、それをクライアントワークとか、何か目的があって作る場合にそのまま応用するのは難しくなっていると思う。

なるほど。音色とかはどうでしょう?

過去のものは使うこともあるけど、現在進行形で作っているものはまだ生々しいというかrawだから使えないですね。だからソロは本当に研究開発。クライアントワークとして商業作品にできるようなクオリティ、絶対値を持っていないと思う。

3rdアルバム『the shader』(2016) の収録曲「greyscale」

そこでいうクオリティというのは、エンジニアリング的な、サウンドがちゃんと整っているみたいなことでしょうか。

商品としての品質保証になっているという意味では、それもあるでしょうね。

Wikipediaを見ると、キャリアの初期はエンジニアリングの仕事をされていたという経歴も書いてあるので。

そうですね。志向していたのはアーティストでしたけど、一番最初に業界に入ったときはProToolsのオペレーターだったし、電気グルーヴのマニピュレーターでした。コンソールミキサーの前に座るガチガチのエンジニアではないけど、そういう方向から入っていきましたね。

今って個人のクリエイターでも自分でエンジニアリングをやろうと思えばできる時代になってきていると思うんですけど、性格的にこういう人は向いていないとか、だったら無理せず人に頼ったほうがいいとかあると思うんです。牛尾さん的にはどういう人だったら向いているとか、経験に照らし合わせて思うことはありますか。

難しいな……エンジニアリングって、確かに今ソフトのプラグインでできるようになっていて、ブラックフライデーでしこたまプラグインを買えば、10万円くらいでプロと同じ機材を揃えられるし、それでYouTubeのチュートリアル動画を1ヶ月見たら、それなりのものを作れると思うんです。でも(役割としての)エンジニアって、そういうことじゃないんですよね。

電気グルーヴの現場にずっとついていたということもあって、僕は自分の世代にしては比較的古い音楽業界の音楽の作り方のマナーを知っているんですけど、やっぱりアシスタントとしてスタジオに入って先輩から学んで、一生の時間をエンジニアリングだけに捧げている人たちのエンジニアリング能力って、僕も含め「アーティストで、ミックスもやる」という人たちと比べて全然レベルが違うんです。それって性格というよりは、もっと精神的な立ち位置の問題だと思っていて。

さらにエンジニアリングをエンジニアという人がやることの一番大事な意味は、端的に作曲家とかアーティストとは別の人であるということなんですよ。それは第三者性みたいな意味ですけど。客観的な視点みたいなのが、エンジニアによって担保されるという。

今お話に出た「第三者性」ってキーワードなんじゃないかと思うんです。牛尾さんは「作品作りにおいてお客さんのほうは向いていない」とおっしゃりつつも、第三者性みたいなものは大事にされている。

「第三者性」って言うとどうしても人格的なものを思い浮かべると思うんですけど、機材や、それこそAIで代替できることもあると思うんですよ。今話した「エンジニア」というのも、人格というよりは全体を俯瞰するポジションとしての話だし。たとえば、コンピューターのクロックとかテンポってすごく正確なんだけど、昔の機材をそれにsyncさせると、ヨレヨレのおじいちゃんみたいなビートを出す、でもそれがすごくいい、みたいなことってあって。そういう自分の中にはない回り方をしているものを制作に取り入れるということがすごく大事なことだと思うんです。

開発に協力しているソニーの作曲支援ソフト「Flow Machine」のプロモーションムービーでも、上記のAI観が語られている

なるほど。

そのパラメータを突き詰めていくと多分、ジョン・ケージが言っていた「偶然性」とかって話になると思うんですけど。聴く人のことを考える・考えないの問題ではなくて、作品のクオリティの問題なんです。クオリティに違いを出すために自分以外が必要な局面は確実にある。たとえば僕は田渕(ひさ子)さんにギターをお願いすることがあるけれど、でもギターを自分で打ち込むときもある。それはお金がなかったからそうしたんじゃなくて、プロダクションに違いがあるということで。全部ひとりでやるということと、誰かの力を借りるということは、差ではなくて違いだと思うんですね。それを選ぶことによってしか得られないものが、あらゆる手段においてあるということです。

『平家物語』の音作り

もう少し『平家物語』の話もお聞きしたいです。今回は歴史もので「和」の要素も多くなっています。実際に琵琶の音色を使われていたりもするわけですけど、生の和楽器の音に触れたとき、牛尾さんはどういったことを感じましたか?

これまで触れたことのない音という意味では、琵琶というのは本当に象徴的で。シンセとかにも琵琶の音色って入っているんですけど、実際の琵琶は全然違う鳴り方をしているんです。おそらく空間で響いて、歌が乗っているということを前提にしている楽器なんですよね。環境によって音も全然違って、リバーブ(残響)がないところで録ると全然良くないから、それもすごく意識しました。記号的な琵琶の音色に目がいってしまうと失敗するなと。

「琵琶とはいかなる楽器か」ということを分解して、コンセプチュアルに曲に反映させていくといったことをされたのでしょうか。

「鳴っている」ということはすごく大事なものだったから、それは目指した方向ではありましたね。ただ邦楽器を取り入れてそういうテイストを出すとなったときに、どうしても邦楽器の音律の中だけでは劇伴は作れないから、僕が親しんでいる平均律の西洋的な楽器と組み合わせたときにどういう鳴り方をするのかという実験をすごくしました。和洋2種類の楽器を一緒に鳴らしてどうユニゾンしたらいいのかなとか、どういうEQやリバーブの使い方をしたらいいのかなとか。作曲の工程に入る前に、そうやって『平家物語』用の特定の音色を作ったんですよね。

全編にわたってその実験の成果が表れていると。

そうですね。たとえば毎回「びわ」(キャラクター)の語りがありますけど、その残響の作り方とかも、その時点での琵琶と西洋楽器の合わさり方みたいなのを意識して作っていますね。

びわの「語り」の話がありましたが、牛尾さん的には「声」の要素って、『平家物語』に限らずでもいいのですが、どういうものだと思っていますか。

ソロでは「人間を描く」ということが嫌だから、声ってあまり使ったことがないんです。使うとしても素材に徹するというか、すごく解体した形で使っていたんですけど、今回はお話の中で必要だったので、ストレートに使っています。謡(うたい)は平均律の中にはないし、それと平均律の中に入っている音楽を共存させつつ、その上で説得力もないといけなかったので大変でした。

アニメ『平家物語』牛尾さんのインタビュー

自分の中のハードルに思想を持つ

Soundmainは音楽を作る人向けのサイトなので、制作に使われている機材などについても参考に教えていただけますか。

プラグインだと、UADというプラグインエフェクターをたくさん使っていますね。ピアノはPianoteq。ソロの作業が主だった頃はMax/MSPを使って、自分で簡単なプログラムも書いたりしていたんですけど、最近はやってないかな。

劇伴の仕事をすることになって、機材との向き合い方は変わったんでしょうか。

対応しなきゃいけないことが多いですからね。たとえば『平家物語』をやるとなったら、これまで使うことなんてなかった和楽器の音色が必要になる。そういうとき重宝するのが、サードパーティでいろんな音源が充実しているサンプラーのKontakt。昔から使ってはいたんですけど、劇伴を作るようになってからは欠かせなくなりましたね。他にも使っている作家の人は多いのではないでしょうか。

ハード楽器はどうですか?

商業仕事では、もうあまり使わないんですよね。いろんなオーダーに対応しなきゃいけないのとも関係しますが、単純にリコールできないので。でも全く使わないわけではなくて、今回だとWaldorfの「Quantum」というシンセサイザーは多用しました。あとは、いわゆるテクノ楽器。Rolandの「909」「808」「303」とか、現物でないとどうしようもないものは使っています。他にはモジュラーシンセをたまに使ったり。EMSというビンテージのシンセも、劇伴にはすごく使えますね。

EMSの解説動画(「sonicstate」YouTubeチャンネルより)

ちなみに『平家物語』で、生音をレコーディングした曲はありますか?

「requiem phases」というテーマ曲にあたるものは録りました。平家の3人がシーン中で竜笛を吹いているのがそのまま曲になっていくということをやりたかったので、邦楽器も含めたオーケストラで。

requiem phases

牛尾さんが譜面を書かれたんですか?

自分が全体像を打ち込みで作って、アレンジャーさんに投げてオーケストラアレンジをしてもらって、細かいところまで全部譜面に起こしてもらって、アレンジも1回打ち込み音源で返して、それを踏まえてまた相談して……じゃあこれで、となったらまた譜面にして、それにOKを出すという感じです。

あとは曲というより音色ですけど、琵琶だけはどうしても空間に響いていないといけなかったから、それは録ったものを素材として使いました。

牛尾さんの考えるレコーディングのコツというのもお聞きしたいなと。『リズと青い鳥』の音楽とか、やっぱりすごいので……。

確かに『リズ』は実際の校舎の中の音を録ったりしましたね。ただ、個人でリリースまで行うタイプのクリエイターの人には、僕のやり方は参考にならないかもしれない。エンジニアリング的な音の良し悪しって、「分離がいい」とか「解像度がいい」とか「ミックスがいい」みたいな言葉で表現される類型があって、その物差しでみんな測るんですけど、それを僕は無視して、「曲がよければいい」という判断の仕方をしているんです。音が悪いとかえって生々しく感じることもあったりして、僕はむしろそういう音を録りきるようにしているんです。

映画『リズと青い鳥』オリジナルサウンドトラック「girls,dance,staircase」

普通にポピュラリティのある曲にしたいんだったら、低域の処理とか位相の問題とか、ちゃんと勉強しないといけないと思うんですけど。僕はソロに関しては特に、いわゆる「音が良い」ということを無視してしまっているので。

では少し質問の角度を変えて……録った素材をDAW上で扱う際の牛尾さんなりのコツというか、意識していることがあれば教えていただけますでしょうか。

自分の中のハードルの設定に思想があるかどうかじゃないでしょうか。たとえば今聞かれた質問に対して、こういう機材の使い方をして、ちょっと温かみを足して、このコンプに通すとこうなりますよって言うことはできますけど、それって瑣末な問題で。

クリエイターでも、多くはすでに存在する類型に沿ってやりがちだし、リスナーだとさらにそうだから、さっき言ったようなエンジニアリング的な尺度に沿って「悪い」んじゃないかと言われることもある。それでもやりきるためには、何を言われてもこれなんだ、って言えるだけの思い込みの強さが必要になってくる。世間一般のとは異なるハードルを、どれだけ自分の心が折れないように設定できるかが大切だと思います。

では最後の質問になります。もしこの先「同じことをやり続けている人」でありたいか、「常に違うことをやっている人」でありたいかと聞かれたら、どちらと答えられますか。

そのどちらかで言えば、同じことをずっとやり続けている人でありたいですね。ただそれは表面的に出てくるものの話ではなくて、もっと根っこの部分。たとえば『DEVILMAN crybaby』と『リズと青い鳥』は全然違う作品ですけど、僕としてはやっていることは一緒という感覚なんです。ちゃんと地に足をつけて、すべてに通ずる思想を持ちつつ、常にフレッシュなことをやっている人でありたいです。

取材・文:関取 大(Soundmain編集部)

牛尾憲輔 プロフィール

ソロアーティストとして、2007年に石野卓球のレーベル“PLATIK”よりリリースされたコンピレーションアルバム『GATHERING TRAXX VOL.1』に参加。
2008年12月にソロユニット“agraph”としてデビューアルバム『a day, phases』をリリース。石野卓球をして「デビュー作にしてマスターピース」と言わしめたほどクオリティの高いチルアウトミュージックとして各方面に評価を得る。
2010年11月3日、前作で高く評価された静謐な響きそのままに、より深く緻密に進化したセカンドアルバム『equal』をリリース。同年のアンダーワールドの来日公演(10/7 Zepp Tokyo)でオープニングアクトに抜擢され、翌2011年には国内最大の屋内テクノフェスティバル「WIRE11」、2013年には「SonarSound Tokyo 2013」にライブアクトとして出演を果たした。  
一方、2011年にはagraphと並行して、ナカコー(iLL/ex.supercar)、フルカワミキ(ex.supercar)、田渕ひさ子(bloodthirsty butchers/toddle)との新バンド、LAMAを結成。
2003年からテクニカルエンジニア、プロダクションアシスタントとして電気グルーヴ、石野卓球をはじめ、様々なアーティストの制作、ライブをサポートしてきたが、2012年以降は電気グルーヴのライブサポートメンバーとしても活動する。
2014年TVアニメ『ピンポン』ではじめて劇伴を担当した。
2016年2月には3rdアルバムとなる『the shader』を完成させ、同年9月に公開された京都アニメーション制作、山田尚子監督による映画『聲の形』の劇伴を担当。映画公開に合わせて楽曲群をコンパイルしたオリジナル・サウンドトラック 『a shape of light』がリリースされた。
2018年初春、Netflixにて全世界配信された『DEVILMAN crybaby』の劇伴、2018年に公開された白石和彌監督による映画「サニー/32」の劇伴、同年公開の山田尚子監督による映画『リズと青い鳥』の劇伴、沖田修一監督による映画『モリのいる場所』の劇伴を担当。
2019年には白石和彌監督による映画『麻雀放浪記2020』の劇伴を担当している。
2020年にはNETFLIXで世界配信された湯浅政明監督による『日本沈没2020』の劇伴が大きな反響を呼び全米でもCD発売、配信される。『DEVILMAN crybaby』の劇伴などのサブスクが8月に解禁。以来全世界で3000万におよぶストリーミング再生数を稼ぐ。
2021年は7月公開劇場版アニメ『サイダーのように言葉が湧き上がる』、8月公開沖田修一監督劇場映画『子供はわかってあげない』、NHKEテレ「ワルイコあつまれ」の音楽を担当。
2022年1月、TVアニメ『平家物語』(山田尚子監督)が放送開始。
さらには2022年放送予定のTVアニメ『チェンソーマン』の音楽担当として制作発表に名を連ねる。
その他、REMIX、プロデュースワークをはじめ、CM音楽も多数手掛けるなど多岐にわたる活動を行っている。
http://www.agraph.jp