音楽プロデューサーWatusi (COLDFEET)
2019.09.30

Watusi(COLDFEET)が語る、クリエイターの機材との向き合い方(インタビュー 1/3)

音楽という共通のキーワードで、世界に発信する音楽を作れるはず

安室奈美恵や中島美嘉の作品を手掛け、自身としてもCOLDFEET名義で活動する音楽プロデューサーWatusi。最近活動20周年を記念し新作アルバム『Core』をリリースした彼に、制作環境の変化や海外マーケット、また新たなトレンドが生む新規ビジネスモデルなどを語ってもらった。 

今回はプロとしての環境作りについて語る第1回目をお届けします。

実験すれば目指すものにたどり着けるのがスタジオだった

Watusiさんがプロの音楽家になったきっかけを教えてください。

Watusiとしては1998年のCOLDFEETがスタートなんですが、実はそのときはもう7回目のメジャーデビューなんですよ。

音楽プロデューサーWatusi (COLDFEET)

7回ですか!

最初は1978年、19歳のとき。歌謡ロックバンドという感じで1枚だけシングルを出したんだけど、レコーディングもこちらの意向は聞いてもらえないし、僕が一番大切に思っていたミックスも「ここは君たちがくるところじゃないから」とディレクターとエンジニアで勝手に進められてしまって。おまけにセカンドシングルを作る時「君たち、ちょっとドラマーがイマイチだから変えない?いいドラマーいるよ?」というような話をされて、呆れて辞めた(笑)。

実はこのときの経験がすごく大きくて。打ち込みもアレンジも好きだったし、トッド・ラングレンみたいに自分のスタジオを持って、自由に自分の音楽を作りたいと思った。そこからスタジオを作るために、ありとあらゆる音楽仕事をし始めたんです。

1988年頃Watusiさんのスタジオ
1988年頃のスタジオ写真

バックバンドやカラオケ用のレコーディングから、CMの音楽制作をしたり、映画の劇伴もTVの選曲もやった。当時はシンセもエフェクターも、”これがないとあの音が作れない”ってものが多かったので、ギャラが入ったら60回ローンで機材を買って買って買って買って買い続けて、スタジオ自体もどんどん大きなものにしていったんです。

で、30代は自分の納得できる環境作りを目指して頑張って、40代になったら好きな音楽をやろうと決めた。それで39歳のときにCOLDFEETを結成したんです。

1980年代には2億円必要だったスタジオ作りが、いまは非常に安価に実現できるようになりました

本当にうらやましいよね。機材面だけで言うと、もしかしたら10万円もかからないくらいで、当時僕が目指していたレベルの環境ができるかもしれない。

僕が何故スタジオが欲しいと思ったかというと、スタジオ自体も楽器として使いたいと思ったからなんだよね。10代の頃、洋楽を好きで聴いていたんだけど、日本の音楽と何が違うのかというところにフォーカスした時、アレンジのセンスや演奏の技量はもちろんあるけど、音の質感が違うということに気がつくわけ。

その質感を作ってくれるのがスタジオと、そこにいる魔術師達、レコーディング・エンジニア達だった。僕と一緒に仕事をしたエンジニアには大変な思いをさせたけど、いつも朝まで思いつく限りの実験をして。そうして実験していけば目指すものにたどり着けるのがスタジオだった。

現在Watusiさんのスタジオ
現在のスタジオ写真

そのために昔は何億円もするようなミキサー、何千万円もするようなマルチトラックレコーダー、何百万円もするようなリバーブなどが必要だったんだけど、いまはラップトップを開くとその全部入っているわけで。本当に素晴らしい世の中になったと思う。

すべて試してみて、自分なりの正解を見つけた人間が音楽家

 一方で、便利になりすぎて、おかしいなと思うことも良く見かける。例えば新しい商品を売り出すときの宣伝文句に「あんなに大変だったことがワンクリックで」というような文言があるよね。

パラメーターもなにもなく、オンにすると音がこうなりますというようなものまである。一体何を言っているんだ?と。僕らはなぜ音がそう変わったのか、その秘密を知りたくてあれこれやるわけでね。

例えば、リバーブの後にコンプレッサーをかけることなんて一般的には意味がないことなんだけど、やってみて初めて、よほど特別な時以外には意味のないことだと分かる(笑)。 

でもその時別な感じってのが経験値になっていくわけ。ワンクリックで音が変わってしまったらそこにたどり着くべき行った様々な経験値が得られないから、その機材がなければお手上げになってしまう。

Watusiさんが使っている機材

ソフトシンセを買ってポンと弾いていい音が出たら、プリセットのエフェクト含めたその音自体の力みたいなものにやられてしまって、気がついたらソフトシンセに作らされていると感じるようなこともある。 

それは言ってみれば時代の音かもしれないけど自分の音ではないかもしれない。僕は、なるべく安易な便利さに負けないよう、迂闊に自分を見失わないように、ある種不便な環境を作るようにしている。

今は先に答えが分かってしまうことが多いけど、答えの前に自分は何をやりたいのか、どこに興奮してどんな絵を描きたかったのかということを考えて、沢山沢山想像を膨らませて、経験を積んで行くことでしか自分も音楽も進化しないと思うんだよね。

機材にお金がかからなくなった今だからこそ逆に時間をかけて沢山くだらないトタイアルをして欲しい。すべてを試してみて自分なりの正解を見つけた人間がやがて音楽家になれるような気がする。 

最初に正解のボタンを押しちゃうといろんなことを損するよっていうのは伝えたいかな。

ビートは時代を作れるから楽しい

素材を録音していく過程で色々と試すことが大事なんですね。ちなみに打ち込み方法で工夫していることはありますか?

昔は機材自体にも使う自分にも(笑)バグが多くて、ドラム用に打ち込んだMIDIデータでピアノの音色が鳴ってしまって、驚いちゃうけど楽しいみたいなことがよく起こったけど、いまのDAWはよくできているのでそういうハプニングはないから、自分で新鮮な発見ができるようにトライしやすい状態を意識してる。なるべくコンピューターをバンド仲間のように扱いたいんだよね。 

「Blue Monday / New Order」
イントロのシンセのシーケンスが、間違ってスタートしていたためドラムとシンクロしていないが、メンバーが面白いと思い本採用となった。

例えば、ハウスやテクノのような4つ打ちのキックを作るとき、同じトラックの1小節間に1拍ずつ4つのキックを打ち込めば4つ打ちの基本は作れるけれど、当然自分の想定している以上のものは出てこない。

そこで、4つのキックを一つずつ違うトラックに移動させてみる。そうすることで例えば1音ずつの音量の上げたり下げたりは簡単に試せる。そうした先に音を短くしたり長くしたりということも試したくなってくる。そんな風にコンピューターをセッション相手にしていけば、自分がどんな音量や長さの変化のパターンに興奮するのかも見つけやすくなる。

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選ぶ音色は、どこにどんな役割で使うかで意味が変わってくる。一見使えそうにないようなものでも、色を持っている音というのは曲自体に新たな景色を与えてくれるので、メインではないけど、細かいアクセントや奥行きを作るための、僕の言うところの「シャドウビーツ」に使ってみたりするね。

音楽って平面じゃないから。前後の奥行きがすごく大事なんだけど、そこもビートだけで作れる。ビートが完成すればそこで鳴り出しているキーも決まってくるし、時代性や景色、意味合いも込められる。

その上に鳴るウワモノも、周波数帯域の空いている部分で機能する音色を選べばいいから、ビートに3日かけたとしてもウワモノは半日で仕上がる。ノリもアクセントの位置はシャドウビーツ含めビート自体で全て兼ね備えているから、ダンスミュージックとしては、周波数帯域に沿ってそれぞれの楽器を割り振っていくだけなのでシンプル。こんなことを日夜楽しんでやってます。

スタジオで作業しているWatusiさんの姿

ビートは時代を作れるから楽しい。逆にビートが完成しちゃうと寂しい(笑)。

海外のトレンドやビジネスモデルとの関わり方について語る第2回はこちらをご覧ください!

Writer : 北口大介
Editor:長谷 憲